ババン時評 「専守防衛」の看板を下ろせ

ウクライナの厳しい戦いを見るにつけ、「専守防衛」の看板を掲げる日本の防衛姿勢の甘さが思いやられる。防衛白書によれば、 #専守防衛 とは「武力攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略」であると定義される。

これは1955年に杉原荒太防衛長官(当時)が国会答弁で初めて使った言葉だという。さらに、1972年には時の総理大臣・田中角栄が、「専守防御は、相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行なうということであり、わが国防衛の基本的な方針である」と国会答弁している。

こんなことを未だに防衛白書に掲げていること自体驚きである。わが国に対する中ソ、北朝鮮の脅威が現実に増しているというのに、わが国の防衛力は相手の攻撃を受けてから行使し、その防衛力も必要最小限のものにしますと、敵はおろか国際社会に宣言しているのである。そして、現実の日本の防衛力整備は、そんな建前に縛られながら、現実の中ソ、北朝鮮の脅威にどう対応するかに苦慮してばかばかしくもがいているのである。

そんな自縄自縛の防衛論でもがきながら、中国は本格空母3隻を持ったのだからこのくらいはいいだろう?と海上自衛隊護衛艦「いずも」を空母に改修しようかとか、相手が極超音速ミサイルを持っているのだからこのくらいは持たなくてはと長距離巡航ミサイルを開発・導入しようかなどと言っているのである。北朝鮮はすでに低空を変則的な軌道で飛行し奇襲攻撃できる新型の短距離弾道ミサイルを持っているというのに、わが国のこの程度の“もがき”でも、共産党などは「専守防衛」を逸脱していると批判する。

今年4月の自民党による政府への「国家安全保障戦略」提言でも、残念ながら「専守防衛」定義はそのまま盛り込まれている。ただし「ここで言う必要最小限度の自衛力の具体的な限度は、その時の国際情勢や科学技術等の諸条件を考慮して決せられるものである」と付言している。そしてこの前項では、「弾道ミサイル攻撃を含むわが国への武力攻撃に対する反撃能力の保有」を提言している。

ここに言う「反撃能力」は、従来論議のタネとなってきた「敵基地攻撃能力」の巧妙な言い換えである。自民党の福田総務会長(当時)は「国際的にも誤解を与えないネーミングだと思う」と自賛した。この「敵基地攻撃能力」の考え方は、1956年の鳩山一郎首相の「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは思えない」とした政府見解に始まるとされる。たしかにミサイルが撃ち込まれて国民の犠牲が出てから反撃するのでは手遅れである。本年中の防衛関連3法の見直しでは、古びた「専守防衛」の看板を下ろして時流に即した看板に書き換えるべきだ。(2022・8・16 山崎義雄)