ババン時評 恥さらしな国葬狂騒曲

心配された不祥事も起こらず無事に安倍氏国葬が行われたことで多くの国民が安堵した。それにしても国葬当日まで会場周辺に押しかけた国葬反対デモは、民主主義の則を超えた所業であり、死者を弔う尊厳な儀式を踏みにじる愚行だろう。中庸の精神と儀礼を重んじてきたはずの日本人とは思えない恥さらしな所業だ。

たまに物議をかもす橋下徹氏だが、今回の国葬については疑義を呈しながらも、(是非の判断には)「ルールと判断プロセスを重視する『フェアの思考』が必要だ」と言っている。その意味では、立憲民主党玄葉光一郎元外相が、国葬には反対だとしながらも「(安倍氏は)長きにわたり首相の重圧に耐えた。日本人の一般的な死生観などに鑑み、粛々と出席して追悼する」として葬儀に参列した行動は尊敬に値する。

共産党の志位委員長は、今回の国葬憲法に謳う「思想・良心の自由」を奪うものだというが、同氏の発声でデモ隊が、黙とうが行われる時刻に合わせて「黙とう反対。黙とう中止」とシュプレヒコールを上げた行為は、粛々と葬儀に参列し、姿勢を正して黙とうする方々の「思想・良心の自由」を踏みにじることにはならないのか。

岸田首相は、国葬は行政権の裁量で実施できるとしながらも、「国葬は国民の権利を制限したり、また義務を課したりするものではない」とし、今回の安倍氏国葬は、内閣設置法に基づく内閣府職掌事務として7月22日に閣議決定したものだと説明している。

この内閣設置法は2001年に設置されたもので、同法に関するコンメンタール(逐条解説)には具体例として吉田茂国葬を挙げているという。この内閣設置法に基づいて毎年開催される全国戦没者追悼式が行われ、立憲民主党の源流である旧民主党政権時は、東日本大震災の追悼式が行われたという。こうなると立憲民主党が、安倍氏国葬に「法的根拠がない」と主張することがおかしくなる。

さらに同党などは「安陪氏の政治的評価は定まっていない」とも主張したが、政治的評価は半年、1年かけても定まるものではない。なによりも国葬の決定は、一義的には時の内閣が決めるものであり、国会決議ではない(法的根拠がない)。ましてや世論が決めるものではない。これには世論を煽る朝日新聞などマスコミの責任もある。

今後の国葬決定では、橋本氏の指摘する『フェアの思考』でルールと判断プロセスを研究すべきだが、今回に限っていえば、拙速のそしりは免れないにしても現行のルールに則って内閣が決めたことである。内閣の国葬決定に従わず、国葬当日まで国葬反対を叫ぶ共産党などの対応は民主主義の根幹を揺るがす行為ではないか。(2022・9・29 山崎義雄)