ババン時評 「習氏の共産党宣言」第1幕

中国はいよいよ一党独裁ならぬ習近平の個人独裁国家になったようだ。第20回党大会の最終日(10月22日)、マスコミ映像で流された。閉幕式の途中、胡錦涛前総書記が係員に腕をつかまれた状態で会場から出ていく動画だ。習氏の隣に座っていた胡氏が係の者に腕を取られて席を立ち、習氏の後ろを通る時に何かを訴えるように声をかけたが、習氏は無言で冷たい笑みを張り付けたような横顔を少し胡氏のほうに向けただけ。うそ寒さを覚えるシーンだった。

中国はこの胡氏退場を体調不良によるものと説明するが信じがたい。揣摩臆測の飛ぶのは当然で、李克強首相らの「自発的引退」とも合わせて、早くも習近平独裁の粛清劇第1幕となった。元党幹部養成機関の教授で現在米国在住の蔡霞氏は米外交専門誌への寄稿で、かつて盟友と言われた王岐山国家副主席でさえ、習氏との関係が「君主と臣下のようになってしまった」との見方を紹介しているという(読売10・25)。

そして習氏の目指す毛沢東の時代は粛清の時代だった。毛沢東の人民共和国が成立して6年目(1955年)の中央政治局委員は15人だったが、毛の逝去した時(1976年)は失脚や迫害死、死後の追放などで中央政治局委員として毛の時代をまともに生き延びられたのは周恩来ただ1人だという(石川禎浩『中国共産党、その100年』筑摩書房)。

その周も、毛によっていわれなき“いじめ”を受け、たびたび屈辱的な反省・謝罪をさせられた。毛沢東は、「大躍進」の失敗で膨大な餓死者を出し、「文化大革命」でも膨大な死傷者を出した。そうした反省から中国共産党は個人崇拝を排して集団指導体制に移行した。そして鄧小平から胡耀邦江沢民胡錦涛政権が複数リーダーで中国を統治してきた。

鄧小平が示した「韜光養晦」は、時期が来るまで身を低くして相手に警戒心や敵愾心を起こされないようにという外交戦略だが、これで30年以上やってきて、中国は世界第2位の経済大国になり、習近平政権は先祖返りの毛沢東的個人崇拝を目指す指導体制となった。胡錦涛李克強排除は「習氏の共産党宣言」第1幕だ。今や習近平中国は公然と敵対国を威嚇する「戦狼外交」へと本性を現した。そして目障りなものは徹底的に排除する。

習政権にとってはアジアにおいてもっとも目障りなのは日本だ。米国と強固な同盟関係にありアジアの代表ズラをしている日本を排除したい。尖閣を取る前に、尖閣諸島海域への執拗な侵入を繰り返しながら、アジアの経済・外交面で世界やアジアにおける日本の地位や評価をおとしめたい。それをやろうとする可能性は高い。日本としては、政経分離で中国と付き合い、中国と自由社会の媒介役をしたいなどという甘い考えは習氏中国にはもはや通用しない。どう対処するか覚悟が問われよう。(2022・11・28 山崎義雄)