ババン時評 「敬老の日」の“うそ寒さ
同じテーマで大分前(2019・9)に書いたことがある。その思いは歳を重ねると共に強くなる。敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」国民の祝日と定められているから、「社会につくしてきた」と胸を張れるご老体以外は、祝ってもらえる資格がないことになるのかも。
しかし今どきは、胸を張れる老人もそうでない老人も、長寿者そのものが厄介者にされかねない世の中になり、敬老の精神など過去の遺物になりはてた感がある。毎年9月の第3月曜日が「敬老の日」で、今年は9月16日(月)だった。祝ってもらえたご老体はどれだけいるのだろうか。
敬老の日が祝日法として制定されたのは、なんと巷に戦後の傷跡も生々しい昭和23年(1948年)という。戦火をくぐり抜けてきたご老体に感謝する「敬老の精神」は、逆にその時代だったからこそ生きていたのかもしれない。76年もたてばそんな親世代の苦労に感謝するというのも時代遅れかも知れない。
先の原稿で紹介した実話で、混んだ電車から降りようとした高齢の女性、私と同じ美術団体に所属する絵描き仲間の女性が、「すみません。降ります」と言いながら降り掛けたところ、ドア近くにいた中年の女性が何かを言い、一緒に降りたホームで“のど輪責め”で首を絞められ「ババア死ね」と怒鳴られ、からくも割って入った男性に救われたという。嘘のような本当の話である。
私もまだ60代だったころ、酔った若者たち数人が電車を降りかけた時、一人が電車とホームの間に片足を落とした時、とっさに抱えて引き上げてやったことがある。その若者が「じいさまに助けられた」と言って笑いながら仲間と去っていったことがある。
今年の敬老の日に、子や孫や知人などから敬老の日のプレゼントをもらった人は、いったいどれほどいるのだろうか。しかしそれはどうでもいい。敬老の日が形骸化しようと知ったことではない。ただし高齢者が世間の厄介者扱いをされることだけは承服できかねる。
前にも書いたが、科学万能のAI時代についていけない高齢者も、それぞれの人生を生きて身に着けた人生観や価値観をもっている。例えはおかしいが、リンゴのシンコ(芯)は役に立たないかもしれないが、シンコがなければリンゴに成らない。己らしい精神やプライドという頑迷なシンコをもったリンゴのような生き方があってもいいのではないか。(2024・9・23 山崎義雄)
ババン時評 佐渡金山の世界遺産登録と韓国
岸田首相は、9月のはじめに韓国を、また月末には米国を訪問する予定という。自民党総裁選に出馬しない首相としては「岸田外交」を総括する旅となりそうだ。岸田首相は尹錫悦韓国大統領との間で日韓関係の改善を進めてきたことを大きな成果として挙げている。しかし、日韓の間ではいまだに徴用工問題の完全解決を見るに至っていない。
更に今度は、新潟県佐渡市の「佐渡島の金山」が2024年7月27日に開催された世界遺産委員会で世界文化遺産に登録された際、韓国政府が「全体の歴史」を反映することを前提に同意したにも関わらずぶり返している。
佐渡金山の世界文化遺産登録と韓国の関係については、今注目の生成AI(人工知能)による次のような見解?が、ネットで示されている。
韓国政府は、戦時中に佐渡金山で朝鮮半島出身者が強制労働に従事したとして、登録にあたって朝鮮半島出身労働者について紹介する展示の設置などを求めていました。日韓両政府は、現地の展示施設で「強制労働」に関する文言を使用しない一方、当時の暮らしぶりなどを説明することで事前に折り合いを付けました。また、日本は朝鮮半島出身の労働者についての展示を行うと表明し、2024年7月28日には佐渡市の相川郷土博物館で朝鮮半島出身の労働者に関する展示が始まりました―。
しかし韓国野党や一部国内世論は収まっていない。この問題についてはすでに当欄「ババン時評 見当違い韓国の佐渡批判金山」(2022・2・12)でも取り上げている。ポイントを再録する。
韓国は、佐渡金山の世界遺産申請に文句をつけてきた。日本政府による佐渡金山の世界遺産登録の推薦に対して、韓国は、佐渡金山は戦時中の「韓国人の強制労働の被害現場」だからダメだとして登録推薦の撤回を求めている。見当違いも甚だしい。
文化庁は、「文化遺産としての価値は江戸時代の佐渡金山」だとして、明治以降の韓国人強制労働の現場だとして反対するのは筋が違うと主張してきた。文化審議会が昨年末政府に答申したのも、16~19世紀における世界の鉱山では機械化が進んでいたが、佐渡金山では人手による独自の生産方式で世界最大の金の生産地となっていたことを評価したものだという。
韓国出身者が佐渡金山の鉱夫として働くに至った経緯、日本鉱山企業の募集や朝鮮総督府の徴用に応じて日本に渡った経緯、佐渡金山での労働時間、賃金、その他の労働条件において、日本の鉱夫の場合などと比較でどれだけ過酷な差別を受けたかを立証すべきではないか。
賃金も当時の日本と韓国との実質賃金を比較するとか、月々の稼ぎから朝鮮の親元に送金していた実態なども検証すべきだ。ただしそれはあくまでも強制労働の実態に関する立証であり、佐渡金山の世界遺産登録とは無縁の検証であることは言うまでもない。(2024・8・24 山崎義雄
ババン時評 「平和」の空念仏は通用しない
沖縄で旧日本軍の戦闘が終結したとされる「慰霊の日」(6月23日)、糸満市で全戦没者追悼式が営まれた。式典に出席した岸田首相は「世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を実現することを誓う」と述べた。
しかし、現実は平和を誓うだけでは日本の安全を守れなくなっていることを示している。尖閣諸島周辺の接続水域では昨年、中国海警局の船が過去最多となる352日間確認され、このうち領海侵入も42日間に上った(読売新聞6月24日 社説など)。海警船をこの海域に常駐させ、尖閣の実効支配化を図ろうとする中国の意図は明白だ。政府が近年、宮古島や石垣島などに陸上自衛隊の地対艦、地対空のミサイル部隊などを配備してきたこと、南西諸島の防衛力を高めることも当然だ。
ところが沖縄県の玉城デニー知事は、「自衛隊が基地を造ることで攻撃目標になってしまう。非常に危ない」と反論している。玉城知事の見当違いや「中国は尖閣を盗り沖縄を狙う」中国の下心は当「ババン時評」でも再三取り上げてきた。「防衛体制がない方が平和を守れる」などという戯言は、戦後の「平和憲法」制定間もなく吉田茂首相も否定し反故にした空念仏である。ロシアによるウクライナ侵攻の現実は、十分な抑止力を持たない国はいとも簡単に人命や領土を奪われてしまうことを証明している。
6月の沖縄県議選(定数48)で、玉城氏と対立する自民党系「県政野党」が4議席増の28議席と過半数を獲得し、玉城氏を支持する立憲民主党など「県政与党」は4議席減の20議席にとどまった。これは玉城県政に、県民が疑問を持ち始めていることを示している。
玉城知事の了見違いについては度々取り上げているが、今年2月の木原稔防衛相との会談では、こう述べている(琉球新報R6・2・18)。玉城知事は、うるま市石川の陸上自衛隊訓練場の建設計画について住宅地や県立石川青少年の家に隣接していることを挙げ「私は自衛隊を認める立場ではあるが、この計画については賛成しかねる。一度白紙に戻して見直して頂きたい」と求めた。また名護市辺野古での新基地建設計画についても、工事中断を要請した。辺野古での軟弱地盤の改良工事を巡っては、すでに昨年9月、工事を承認しない県に対して国が行った「是正の指示」が違法かどうかが争われた裁判で、最高裁判所は「国の指示は適法だ」として沖縄県の敗訴が確定している。しかし玉城知事は素直に判決に応じる姿勢を見せていないのである。
玉城知事の要請について木原防衛相は、うるま訓練場については、うるま市長や自民党県連からの要望を受け、土地取得後の利用の在り方について「改めてさらなる検討を指示した」と明らかにしたが、計画撤回自体には否定的な姿勢を示した。また辺野古への基地移転については、「日米同盟の抑止力と普天間飛行場の危険性除去を合わせて考えた時に辺野古が唯一の解決策」と述べ、工事を進める考えを述べた。
岸田首相も沖縄「慰霊の日」への儀礼的な式典出席で「世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中の実現を誓う」などという戯言を述べるだけでなく、普天間や沖縄に及ぶ危険性の除去やそれに対応する自衛隊配備強化の必要性を丁寧にかつ厳しく、沖縄県民をはじめ日本国民に訴えていく必要がある。(2024・7・24 山崎義雄)
ババン時評 日韓関係「良い」-世論好転
読売新聞と韓国日報の行動世論調査(2024年5月)では、両国政府の緊密な関係を背景に、日本の5割、韓国の4以上が日韓関係を「良い」と評価した。日本を重視する韓国の尹錫悦大統領が厳しい政権運営を迫られる中、来年の日韓国交正常化60周年に向けた新たな協力内容などが注目される。
「私達2人の強い信頼関係を基盤として昨年1年間、各分野の各レベルで交流が大きく拡大した」。このように尹氏は5月26日にソウルで行った岸田首相との会談で首脳間の信頼関係を強調したと言う。両首脳はこれまで10回、対面で会談し、歴代の日韓首脳で「最も相性が良い」(韓国政府筋)とも評される。文在寅前政権下で日韓関係が極端に悪化し、中断した日韓政府間の外交や経済分野の協議は、ほぼすべて再開した。
尹氏は昨年3月、日韓間の最大の懸案だった徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)訴訟問題の解決策を発表し、日韓関係の正常化と首脳同士の「シャトル外交」の復活につなげた。周囲の反対を押し切ってのトップダウンの決断だった。北朝鮮の核・ミサイル開発が進展し、安全保障環境が厳しさを増すなか、日本との関係改善が不可欠との判断があった。
4月の韓国総選挙で保守系与党「国民の力」が大敗し、「共に民主党」など左派系野党が国会の3分の2に迫る議席を獲得した。それでも尹氏の「日本重視」にブレは見えない。5月の記者会見で、日韓関係の未来志向的な発展への意欲を示した。だが、野党側は韓国が実効支配する島根県・竹島に上陸して威を示し、尹氏の対日政策を「屈辱外交」と批判するなど、日本に関わる問題を政治利用する動きが目立つ。
この1年の日韓関係の評価をみると、日本では「評価する」の45%と「評価しない」の46%が割れた。「評価しない」とした人に限ると、韓国政府の元徴用工問題を巡る解決策について「評価しない」が54%、今後の日韓関係のあり方について「歴史認識を巡る問題で隔たりがある限り、友好関係を深めるのは難しい」が56%と、いずれも半数を超えた。日韓関係が、日米韓の安全保障の枠組を軸に改善し、「親しみ」を感じる人が増えているだけに、今後の韓国内の政情や歴史認識を巡る世論の変化が注視される。
しかし、時の政権次第で両国民の意識が左右されることも過去の歴史から見て否定できない。今回の調査では、対日関係の改善を掲げた韓国の尹錫悦大統領が2022年に就任し、岸田首相と会談を重ねる中で、両国で相手国への国民感情が好転し、親近感を抱く人が増えていることが浮き彫りになった。日韓関係の現状を「良い」とする人は、日本では13年ぶりに50%に達し韓国では42%と、2年連続で4割台となった。特に相手国に親しみを感じる人の割合は、日韓共に18~39歳の若年層で多かったのは好ましい。
気がかりなのは、尹氏の対日重視外交に水を差す動きが、韓国政界などでやまないことだ。4月の総選挙で単独過半数を獲得した左派系の最大野党は、「尹氏は日本に譲歩し過ぎだ」として見直しを迫っている。こうした傾向が続けば日本の対韓感情が再び悪化しかねない。対日関係を政争の具とすることは、日米韓の分断を狙う北朝鮮やロシア、中国を利するだけだ。韓国野党は強く自戒すべきだ。(2024・7・14 山崎義雄)
ババン時評 「日韓VS中国」首脳会談
日中韓3か国の首脳会議が、岸田総理大臣、中国の李強首相、韓国の尹錫悦大統領が出席し、5月27日にソウルで開かれた。同会議は4年半ぶりに開かれたもので、今後は中断することなく、定期的に会議を開催することで合意された。次の議長国となる日本としては、対中、対韓それぞれに懸案のある中で、会議を定例化し、どのように3か国の関係強化を図れるかが課題となる。
以下、読売新聞記事(5・28)を中心に首脳会談の経緯を概観して私見を述べる。会談では、覇権主義的な動きを強める中国に、「法の支配に基づく国際秩序」の維持を求める日韓両国が対抗する構図が鮮明になった。違いが最も浮き彫りになったのが、北朝鮮への対応だ。
首脳会談の直前に、北朝鮮が人工衛星の打ち上げ予告を出した。岸田首相は会談冒頭で「北朝鮮が仮に発射を強行すれば、国連安全保障理事会の決議違反だ」と厳しく指摘し、韓国の尹錫悦大統領も「国際社会は断固として対応しなければならない」と訴えたが、中国の李強首相は、発射予告には触れず、「世界の集団化、陣営化に対応すべきだ」などと論点をずらして、対北包囲網をけん制した。
その結果、共同宣言は、文化や観光、教育などの交流促進や、先の3国自由貿易協定(FTA)の締結を目指すことなどを明記したものの、朝鮮半島の非核化では、4年半前の前回会談の成果文書で「我々は朝鮮半島の完全な非核化に関与している」としていたところを、今回の共同宣言では、日中韓が「それぞれの立場を強調した」とし、中国の北朝鮮擁護の姿勢が明らかになった。
李氏は記者発表で、日中韓が「戦略的意思疎通を強め、政治的相互信頼を深める」よう提案し「互いの核心的利益と重大な関心事への配慮」にも触れて、台湾への関与を強める米国などを念頭にクギを刺した。中国のホンネは後段の「(中国の)核心的利益(台湾)と重大な関心事(東・南シナ海や尖閣諸島への関与)への(日韓の)配慮」を求めるところにある。
しかしそんな中国の虫のいい核心的利益や関心事に日韓が配慮を示し、そう簡単に分かりましたというはずもないことは中国も承知の上だろう。だから中国は今後も北朝鮮やロシアとの関係強化を図り、日米韓への対抗軸作りを進めるだろう。
今後も日中韓首脳会談は継続すべき意味はあろうが、会談にかける中国の狙いは我欲の主張と日米韓の連携にくさびを打ち込むところにある。日韓としては「日韓VS中国」の首脳会談であることを日韓共通の基本認識とすべきだ。(2024・7・5 山崎義雄)
ババン時評 老いるショックの正体・下
友松先生が奥様を亡くされて間もないころ、友松先生ともご縁の深かった協和発酵工業の加藤弁三郎会長(カトウ ベンザブロウ 明治32(1899年)~昭和58(1983)年没。昭和期の在家仏教者、実業家)にお会いした。
私は、加藤氏への経営者インタビュー記事「トップ言行録」(月刊誌「工場管理」所載)をまとめたのがご縁で、加藤氏のお人柄を慕ってちょくちょく協和発酵工業にお邪魔していた。加藤氏が出社する前に尋ねても会長室に通され、お茶をいただきながらお待ちするのが常だった。
加藤氏が出社されて、「お待たせしました」と言いながらデスクに置かれた風呂敷包みから数珠がちょろりと顔を出していたりした。「もう少しお待ちください」と言って、加藤氏が会長室の壁面にしつらえた両開きの小さな扉を開くと、そこに観音様が祀られており、蝋燭・線香を灯してお祈りするのが加藤氏の習わしだった。
それからやっと応接セットで対面となる。その日、私が、友松先生が最愛の奥様を亡くされた時、「寂しいね」と一言漏らされただけだったとお話しした。加藤会長はしばし面を伏せて沈黙した後に、「先生が、そうおっしゃいましたか」といって、またしばし沈黙された。
仏様の教えに「愛別離苦」がある。「四苦八苦」の「八苦」の1つで、「親子・兄弟・夫婦など、愛する人と別れる苦しみ」を言う。たまたまネットで「愛別離苦」を検索したら、横田南嶺師による2021.04.07今日の言葉「愛別離苦」のお話が載っていた。優しく書かれた良いお話でぜひ読んでほしい。
そこで横田氏は『池上彰と考える 「死」とは何だろう 』(角川書店)という本を読んだと言い、その中に、池上彰さんと釈徹宗さんの対談が掲載されていて、いろいろな方の質問に、池上さんがキリスト教の立場から、釈徹宗さんが仏教の立場から答えているとして内容を紹介している。
そして横田師は、自身の思い出として、「十数年前に私の知人で、考えられないような事故で亡くなった方がいた事を思い出しました。その方がまた、実に良い人で、多くの人から慕われていたのでした。(中略)ご遺族の悲しみは察するにあまりあります。
私もなんとお慰めしてよいのやら、言葉も見つからずに困惑しました。そして、当時管長をお勤めであった足立大進老師に、事情をお話しして、ご遺族に何かお言葉をお願いしますと、色紙に揮毫を頼みました。足立老師は、しばし沈思黙考した末に、丁寧に墨をすって、心を込めて、「倶に遊ぶ、仏心光明の中」と書いて下さいました。やはりこれしかないなと小声で仰せになりました」と書かれている。
そして横田師は、「愛別離苦」、いつの世にもなくなることのない、悲しい事実であります」とネット上のお話を結んでおられる。その「悲しみ」も、友松先生の一言「寂しいね」も、凡人が考える「悲しみ」「寂しさ」とは意味合いが違うのかもしれない、とその重さと深さを思わずにはいられない。(2024・5・22 山崎義雄)
ババン時評 老いるショックの正体・中
前号の続きだが、鎌倉・円覚寺の横田南嶺師のお話は、続いて「『法句経』の二十一番に、精進(はげみ)こそ不死の道/放逸(おこたり)こそ死の径なり/いそしみはげむ者は/死することなく/放逸にふける者は/生命あるとも/すでに死せるにひとし、という言葉がございます」とあり、また「同じく『法句経』の百十二番には、人もし生くること/百年(ももとせ)ならんとも/おこたりにふけり/はげみ少なければ/かたき精進(はげみ)に/ふるいたつものの/一日生くるにも/およばざるなり、とも説かれています」とあるという。そして、「訳文は、講談社学術文庫「法句経」にある友松圓諦先生の現代語訳を引用しました」とある。
おなつかしい友松圓諦先生のお名前を目にしたので、話は脱線する。「ウイキペディア」によると、友松園諦(ともまつえんたい、1895年・明治28年~1973年・昭和48年。78歳没)。慶応義塾大学文学部史学科卒。仏教学者。第7回仏教伝道文化賞受賞..独・仏に留学し、帰国後に慶應義塾大学予科講師・教授、日本放送協会ラジオ講師、大正大学講師等を歴任。西洋哲学に裏打ちされた仏典研究をはじめる。戦後、無宗派の寺院である神田寺を設立、などとある。
私は、現役時代(日刊工業新聞社出版局雑誌編集者時代)に、友松先生のご高名を慕って、神田寺を訪問した。雑談のように柔らかく世の中の話や仏様の話を聞いて心を打たれ、工業専門誌である「工場管理」などへの随想執筆を晩年の友松先生にお願いし、快諾を得た。以来、3年近く、毎月神田寺を訪問することになった。
最初に神田寺を訪問し、2階の奥にあった先生の執務室でお会いした。1時間近くお話を聞いてお別れして、執務室を後にして長い廊下を進み、1階への階段を下りようとしたとき、「さよなら」と柔らかい声が聞こえてきた。先生が執務室の前に立たれて見送ってくれていた。私は、さぞや間抜けな背中を見せて長い廊下を歩いていたであろうことを恥じた。
その1年ほど前、先生は奥方を亡くされた。私は、執務室でお悔やみを述べた。先生は椅子に深く座り、肩を落としてしばらく沈黙した後、「さびしいね」と漏らされた。その一言だけだった。私は、最愛の人を失うことへの高僧としてのお話があろうかと思った自分を恥じた。
凡夫のわが身としては、悟りを得る「精進」などは望むべくもないが、せめて好きな絵を描き続け、この「ババン時評」レベルの人生雑感を書くていどの努力を続け、耄碌しない程度の努力を続けて人生の終盤を生きたいものである。(2024・5・18 山崎義雄)