ババン時評 「地政学」から「地政戦略」へ

 

いま地政学が流行っているらしい。書店に行くと類書が積まれている。地政学は地理と政治の関わり合いを考察する学問だが、類書を開くと、「地政学」というより「地政戦略」と言った方が、軍事力中心のパワーでせめぎ合う現実の国際情勢・国際外交の実態に近いように思われる。

わが国は今、重大な歴史的局面に立たされている。目の前には、珍妙・無体な理屈で反日姿勢を強める韓国、祭りの花火のように核ミサイルを発射する無謀な北朝鮮、軍事パワーを誇示して近隣諸国や世界を恫喝する中国がある。特に中国は領土という「ランドパワー」の拡張・強化を目指し、中国と韓国は日本海や近海における「シーパワー」の拡大を狙って無法ぶりを発揮する。

さらにこの国々は一様に一方的で攻撃的である。それに比べてわが日本の姿勢は慎重で防御的だと思うのだが、彼らにいわせれば全く逆で、日本は戦前の軍事大国、侵略国家、帝国主義の復活を目指していると主張する。このような「地政条件」の下で、「地政戦略」を持たずに平和憲法を守れなどと浮世離れした寝言を言っているようでは、いずれ日本は痛い目に合うだろう。

話は飛ぶが、いま売れている辻政信「潜行三千里」を読んだ。この改定新版に初めて収録された遺稿がある。敗戦直後の潜伏中に書かれ、人に託して密かに日本の留守宅に届けられたノートである。その中で、敗戦に至るわが国の歴史を回顧し、敗戦への経緯と原因を挙げている。

詳細に論述している内容を乱暴にまとめると、①明治維新の「万機公論に決すべし」と願ったはずの政治がそうはならなかったこと、②上級軍人の驕慢と低俗な官吏の独善、③中国・親日政権(汪兆銘政権や蒋介石政権)との外交を誤ったこと、④科学の遅れと工業力の弱さ、⑤農業保護・農村政策の誤り、⑥陸海軍の対立と作戦の不統一、⑦総理から平民に至るまで信じ込んだ神国日本の天祐思想。⑧軍上層部が商人の国・米国は長い戦争はできないとみたこと、を挙げる。

上記の①に「万機公論-」と書いたが、本当は、本書の文章は「第一に挙ぐべきは国体の精華を発揮しえなかったこと」とある。この第1の理由、国体の精華を発揮できなかったのは、上記①から⑧までの全項目が原因だろう。狭隘な国土から中国進出、満州建国に進んだ日本。ひたすら「ランドパワー」の拡大を目指した日本。その轍を踏まず、難敵に処して新たな「ランドパワー」と「シーパワー」を発揮する新しい「地政戦略」が必要な時だろう。(2019・⒒・24 山崎義雄)

ババン時評 わが国「メートル法」の夜明け

 高齢者ならだれでも子供のころ、家に鯨尺があったのを覚えているだろう。その鯨尺が禁止されたのは1959年(昭和34年)。これに猛反対したのが放送作家永六輔だ。今は商用取引以外ならメートル表示並記のかたちで使えることになっているらしい。それにしても今に至るまで鯨尺や尺貫法郷愁派・支持派がいるのだから、明治・大正の時代に我が国が尺貫法をメートル法に換えることがいかに難しかったか想像に難くない、

このほど同郷 岩手出身の知人 吉田春雄さん(工学博士)が「メートル法と日本の近代化」という本を出した(現代書館)。サブタイトルに「田中館愛橘原敬が描いた未来」とある。言わずと知れた田中館愛橘は旧東京帝国大学名誉教授・理学博士、原敬は初の平民宰相、日本の第19代内閣総理大臣だ。本書は岩手の偉人2人の関係とメートル法の成立にスポットを当てた初の文献だろう。

2人は幼いころ、旧盛岡藩の藩校「作人館」で学んだ。田中は明治11年、東京大学理学部物理学科一期生となって地球物理学を学ぶ過程でメートル法の合理性と普遍性を理解した。しかし当時の日本は尺貫法が中心で、それに、外国の軍事技術導入で、ヤード・ポンド法メートル法が併用され尺斤法も認められるなど多様な単位系が混在していた。

原は内閣総理大臣になって間もなく度量衡法改正のための委員会を設置する。そして大正10年(1921年)の帝国議会で改正審議が始まり、度量衡法単位系がメートル法主体に改正される。やがて田中館は万国度量衡会議常置委員としてメートル法の普及に尽力する。

二人は、戊辰戦争敗残により明治・大正時代、「白川以北一山百文」と揶揄されたこの時代に南部藩出身のハンディを背負って生きた。原は号を「一山」と称した。原は、捨てる神あれば拾う神ありの人生で、折々に人と対立し決別しながら新聞社や外務省などを経て政界に進出し、ついには総理の座を得る。陸奥宗光井上薫などの知遇を得る“人間力”もあった。

もしも原と田中館が友人でなかったら、田中館が原にメートル法を説かなかったら、原が総理大臣になっていなかったら、旧薩長中心の藩閥政治の中で、科学の基本であるメートル法の夜明けも日本の近代化も相当な遅れを来しただろう。新しい時代を切り開くにはこんな舞台が必要だったということか。そして役者は天の配材によるものだったというべきか。(2019・11・21 山崎義雄)

ババン時評 「大嘗祭」のこころ

 

さきごろ、天皇家の重要な祭祀「大嘗祭」が厳かに行われた。NHKテレビが最初にニュースを流した時に、神道的だとの批判があるというようなコメントがあったので、オヤと思ったが、次のニュースからはそのコメントが聞かれなかった。「待った」がかかったのではないか。

儀式では、天皇陛下は、天皇家の斎田(茨城県京都府)で採れた米を中心に神々に新穀などを神饌に供えて五穀豊穣と国家の安寧を祈る。この儀式の肝心なところは秘事であり非公開とされたが、公開された場面は新聞テレビで報じられ、国民は幽玄で厳粛な式典に魅了された。

後日、天皇・皇后両陛下は伊勢神宮に参拝され、即位のご報告をなされた。伊勢神宮にはこんな行事がある。山本七平著「日本人とは何か」(祥伝社)に詳しいが、伊勢神宮は今でも3町歩ほどの斎田で米を収穫し高床式の倉に保存する。毎朝これを脱穀して神饌に供える。この米も昔ながらの黒米・赤米が混じる。塩も自らの塩田で「万葉集」に出てくるような堅塩(かたしお)だ。

神饌の基本は御飯と塩と水、鰹節、鯛(夏は干物)、昆布、荒布などの海産物と、野菜・果物、そして酒で、朝夕2回捧げられる。神饌は豊穣を願う祭儀ではあるが、当時の農民の生活と密接に関連した作業をしながら祈念することで、豊穣がもたらされると信じたものであろう。

おもしろいのは山本七平さんの感想だ。「そうした祭祀を行い(中略)、伊勢神宮の建物もだいたい千五百年前と変わらないと思われるが、一方で最新式のインテリジェントビルが林立する日本、この日本はやはり相当に面白い文化を持つ国といえるであろう」というのだ。

偶然たまたま、読売新聞(11・15)の、1つの大嘗祭記事の終わりがこう結ばれている。(皇居の大嘗祭の)「会場からは、東京・大手町の高層ビルのあかりも見え、ほのかな灯篭の明かりがともる大嘗祭とのコントラストを演出していた」というのだ。

大嘗祭神道儀式であるとか、国費投入はおかしいとか、すでに秋篠宮様まで言及して波紋を呼んだ。しかし、皇位継承儀式はかけがえのない日本の歴史・伝統・文化であり、限りなく国事に近い行事ではないか。その認識の上で“費用”の問題も考えるべきだろう。象徴天皇の精神を具現化する意味でも皇室儀式は重要だといえるのではないか。(2019・11・20 山崎義雄)

ババン時評 “付け火”にも良し悪しあり

 

昔の火付けには物語がある。それに比べて、世界が震撼した京都アニメ放火事件は、見当違いの恨みによるあまりに深刻で劣悪な犯罪だ。物語どころか悪夢に似た惨劇で、犯人の心理に思いを寄せるべき一片の条理もない。昔から火付けの罪は重い。池波正太郎鬼平犯科帳」の主人公、火付け盗賊改めの鬼平こと長谷川平蔵なら、お裁きなしにバッサリ切って捨てていいことになっている。それほど火付けの罪は昔から重く裁かれた。

とはいえ、厳しすぎるお裁きは八百屋お七の火付けだ。八百屋の八兵衛一家が避難した檀那寺で、16歳の娘お七が寺の小姓と恋仲になる。やがて一家は建て直した店に戻ったものの、お七は男恋しさに、もう一度火事になれば会えると考えて店に放火する。ボヤで済んだがお七は捕らえられ、鈴ヶ森で火炙りの刑に処せられる。これとは別に、江戸・駒込で出火し3、500人とも言われる死者を出した“天和の大火”(1683年)がある。これが後に“お七火事”と呼ばれるようになったのも気の毒だ。

同じ付け火でも、あの義経の付け火は情けない。宇治川の合戦の時は、戦の邪魔になるとして川端の家300軒を焼き、隠れていた老人子供などを焼き殺したという。鵯越・一の谷合戦の時は、丹波の三草山で平家軍7,000に夜襲をかけるために、周囲の民家に火をかけて松明代わりにした。火付けは、当時の戦法の一つだったとはいえ、義経のイメージを損なうことこの上ない。

ところが、感動的な“付け火”もある。「稲むらの火」は戦中から戦後の昭和22年まで国定教科書にも載っていた実話だ。話の大筋は、ある村の庄屋が、高台の屋敷の庭で、不気味な地鳴りと共に波が大きく引いて海底が現れて行くのを見て津波が来ると判断する。庄屋は刈り取って積み上げてあった稲束の山に次から次へと火をつけ、駆けつけた若い衆たちに下知して村人を高台に非難させた。

この話の元は、安政南海地震津波(1815年)の折りの紀伊国広村(現山口県広川町)の故事をもとにラフカディオ・ハーンが書いた小説だ。事実と違う面もいろいろ指摘されるが、実話の主人公、濱口儀兵衛という人はその後、私財を投じて長さ600メートル、高さ5.5メートルの堤防を構築した。「稲むらの火」から131年後の昭和21年、4メートルの大津波に襲われたが、この村落は救われた。何事にも表もあれば裏もあり、付け火にさえも良し悪しがある。(2019・⒒‣9 山崎義雄)

ババン時評 厚労省「パワハラ規制」の矛盾

 このところ、続けてお役所仕事に“半畳”を入れてきた。まず、日本人の国語力が落ちてきたという文化庁による「国語調査」、続いて文科省による高校国語教科書の“再編”案、そして今回は、厚労省による“パワハラ・マニュアル”作成の話だ。3つの共通項は「言葉」である。言葉の解釈や定義だ。それをやるお役所は案外ヒマなのかもしれない。

まずパワハラの6類型をみると、①暴行・障害、②脅迫・名誉棄損・侮蔑・ひどい暴言、③隔離・仲間はずし・無視、④不要な業務や遂行不可能な業務の強制、⑤程度の低い仕事を命じたり仕事をやらせないこと、⑥私的なことに過度に立ち入ること、となっている。

一方で、パワハラとは見なさないという例示がある。例えば「誤ってぶつかったり、物をぶつけてケガをさせること」はパワハラではないという。これでは上記①「暴行・障害」と相反する。②の「ひどい暴言」も、「再三注意してもなおらない時」や「問題行動を起こした時」は許されるのだから、こっぴどく怒鳴りつけてやれる。

「新規労働者や処分を受けた労働者を個室で研修させること」もOKだから上記③のパワハラを個室でみっちり“研修”させられる。また、「業務上の必要性から多い業務をやらせること」もOKだから④のパワハラを「業務上の必要性」で命じられる。また「経営上の理由から簡易な仕事をやらせること」もOKだから、⑤のパワハラを「経営上の理由」でやれる。

最後に、「労働者への配慮を目的として家族の状況などをヒアリングすること」もOKだ。これでは⑥のパワハラを、「労働者への配慮」を建前に「お前のためを思って聞いているんだぞ」としつこく聞けることになる。ということで「パワハラ6類型」すべてに疑義や抜け穴が出てくることになる。

実際の職場では、上司・部下、先輩・後輩、同僚間、男性・女性、などの間で、強みを発揮したり弱みを隠したりしながら多様な人間模様が展開される。人間関係のトラブルに、「触らぬ神に祟りなし」と決め込むか、「人間として」体当たりするか、その両極の間でもがきながら常識の範囲内でやっていくのが人間関係だ。基本は「常識」だ。お役所によるパワハラ指導は、ほどほどに願ったほうがいいのではないか。(2019・11・8 山崎義雄)

ババン時評 「文学と論理」を分ける?

 

お役所の考えることはよく分からない。先に、日本人の国語力の低下を指摘する文化庁の「国語調査」の話を書いたが、今度は“親元”の文部科学省が、いま高校で使われている国語の教科書を大きく変えようとしており、その動きが注目されている。

それは、2022年度以降に使われることになる高校国語の定期的な再編を巡る動きだが、その中の一環として、いま使われている高校国語の「現代文」を、選択科目として「論理国語」と「文学国語」の2つに分けようという動きがあるというのだ。

どうやら文科省の狙いは、今の国語教育が社会に出てあまり役に立たない“文学寄り”の内容だということで、これを論理的な思考や論理的な表現力を伸ばす方向に換えたいということらしい。こうした流れは、すでに大学教育でも文系の学部や予算が削られるという傾向にあり、これは文科省の方針でもある。これには、実利に役立たない自然科学を軽視する時代背景がある。

さらにはビジネス社会の要請として、報告書や調査・研究データづくり、プレゼン資料の作成や発表能力などで、論理思考ができてすぐに使える人材の必要性が言われ、それに積極的に応えようとする大学の姿勢がある。そしてその大学の要請に応えようとする高校が増えているという。そんな時代の要請に応える流れができつつある。効率化を求めるせっかちな時代になった。

現在使われている高校の多くの教科書の「現代文B」には、森鴎外の「舞姫」や夏目漱石の「こころ」などの文芸作品が収録されているという。彼らは明治期において外国語にも等しかった“お国言葉”のカベを取り払って、話し言葉の標準語という新しい「日本語」を作った先達である。

鴎外は当時の文部官僚と結託して「口語体」を標準語にしようとしたが、山田美妙らの「口語体」派に敗れた。それでも彼らは力を合わせて、平安時代に創作した漢字+ひらがな+カタカナ併用の日本語の特徴を最大源限に生かして、標準語という豊穣な日本語を作り上げた。

そしていまや古文書さえもAIが読む時代になった。論理構築はAIに任せてもいいではないか。論理だけでは人を説得できない。理屈+情、論理+文芸で、人は納得させられる。高校生からビジネス人間を速成しようというのは間違いではないか。(2019・11・5 山崎義雄)

ババン時評 深刻な?「国語力低下」

 

萩生田文部科学大臣は、試験場への距離や費用でハンディを背負う遠隔地の受験生に、「自分の身の丈に合わせて勝負してもらえれば」などとテレビで語って批判を浴び、謝罪に追い込まれた。大臣は、「説明不足な発言だった」「言葉足らずだった」と反省する。だが「身の丈に合わせて」とは、「分をわきまえて」と言う意味で、「説明不足」ではなく単純な言葉の誤用だ。

たまたま今、萩生田大臣の文科省の外郭 文化庁による「国語に関する調査」結果が話題になっている。言葉本来の意味を取り違える人が増えているというのだ、同庁は「活字離れに伴い、慣用句の意味を文脈から推しはかる機会が少なくなった影響もあるのではないか」という。まさに指摘通りで、いま明らかに活字離れが進んでいる。しかし同庁の調査結果にも違和感がある。

たとえば「御の字」の回答率では、本来の意味の「大いにありがたい」36.6%に対して、異なる「一応、納得できる」が49.9%だという。しかし「異なる」方の意味にも「多少、納得できる」ところがある。第一いま、「御の字」を「大いにありがたい」と感謝の気持ちで使う人がいるだろうか。「ありがたい」よりも「ありがテェー」「しめしめ」「まあいいか」くらいの軽い気持ちで使うほうが多いのではないか。

「砂をかむよう」では、本来の「無味乾燥でつまらない様子」が32.1%、異なる「悔しくてたまらない様子」が56.9%である。「異なる」意味は完全な間違いだが、「本来の」意味も、「つまらない」の一言では、「味も素っ気もなくて」「クソ面白くもなくて」、「砂をかむような」索漠たる気分が出ない。

「憮然」では、本来の「失望してぼんやりとしている様子」28.1%、異なる「腹を立てている様子」56.7%だ。しかし、失望しなくても“憮然状態”はあるし、第一、「ぼんやり」はあまり思うことのない状態だが、「憮然」には思うことが詰まっている。この説明では、当て外れやら不服やら屈託やらを抱えながら“仏頂面(ぶっちょうづら)”で憮然としている様(サマ)が浮かばない。

ほかでも、用語の説明には多少の違和感があった。同庁の調査にも、萩生田文科大臣の言にも、「慣用句の意味を文脈から推しはかる機会が少なくなった影響」があるのではないか。言葉の深い意味や言外の味わいは文章を読み込んで「文脈から推しはかる」以外にない。(2,019・11・3 山崎義雄)