ババン時評 世の中は食うて糞して―

日展理事長の日本画家、鈴木竹伯さんが逝去した。現日展理事長の奥田小由女さんが新美術新聞(3・21)に追悼文を寄せている。そして竹伯さんの言葉を引用して、「私は朝起きると真っ先に画室に入るんです。朝の仕事はとてもいいんです」といつも話しておられました。(亡くなった)2月7日の朝も、起きたらすぐに新しい絵を描こうと思いながら眠ったままの最後は、竹伯先生らしいお姿と心から偲び、ご冥福をお祈りいたします―。

一転してレベルの低い話になるが、私の場合は、明日の朝は何を食おうかと考えて眠るのが常である。麺類が中心だが、ソバ、ソーメン、うどん、スパゲッティ、それにパンやおにぎりなどのこともある。私も絵描き仲間の端くれだから絵のことも考えるが、もっとも眠りにいいのは明朝の食べ物のイメージである。卵や青物・葉物、油揚げ、納豆、たまに天ぷらなど、いろいろな具を乗せた具体的なドンブリを考えて、「サー明日は美味しいうどんを食うぞ」などと口にして眠りに入るのである。

安眠のためには、まず世の中の雑事や身の回りの困りごとを考えないことである。間違っても嫌なアイツのことや手元のカネ勘定などやってはいけない。私の場合は寝しなの一杯をやる時からそれを心掛けている。若いころはなかなかうまくいかなかったが、年を取ってようやく当たり前に、意識することなくのんびりと安眠のために心の縛りを解くことができるようになった。

名前を挙げれば失礼に当たるので某先生としておくが、数年前に著名な美術評論家の某先生が80歳ほどで亡くなった。それより5年ほど前、先生は、脳卒中で倒れて山上の自宅から救急ヘリで運ばれた。さいわい軽く済んで、ベッドで目覚めた瞬間の第一声が、「アレ?俺はうどんを食ってたはずだ」というものだったという。シャイでまじめな先生だっただけに、意外な一言が面白かった。

「世の中は食うて糞して寝て起きて、さてその先は死ぬばかり」とは一休禅師の教えだが、そこまで身もふたもない?悟りはさておいて、まずは明日の朝も生きていて、起きてメシを食う予定でノー天気に生きていること、その幸せに感謝しなければなるまい。(2020・4・5 山崎義雄)

ババン時評 中國“帝国主義防災”の危険

中國の習近平政権は、国内のコロナウイルス封じ込めに成功したとして、コロナ感染の拡大に苦しむ多くの国々に対して、医療チームの派遣や支援物資の提供を進めている。支援を申し出た国はすでに80数か国に及ぶという。コロナ対策のリーダー、世界最大の支援国、正義の味方を演じようという中国の腹の内が透けて見える。

国営メディアを使ってコロナ作戦の成功を大々的に打ち上げるとともに、かつてない厳しさで国内メディアの情報統制が行われ、国民は、習政権への恐怖と非難の思いを強めているようだ。習主席が武漢市視察を行った日(3月10日)、多くの患者が隔離病棟から消えており、感染検査も行われていなかったという。主席の逆鱗に触れることを恐れた市当局の対応である。

その一方で中国は、対外的な支援成果を喧伝する。セルビアのブチッチ大統領は、「欧州には団結は存在せず、唯一の希望は中国だ」(読売3.25)と語り、特別機でセルビア入りした中国の医療チームを空港で出迎えたという。まさに習近平主席の“思うつぼ”である。

中国の進める「一帯一路」は、世界の潮流・グローバリゼーションに乗り遅れた国を標的にしている。そうした国々は財政やガバナンスに弱点をもつ国が多い。そのため、中国からの融資などを受けても国の発展につながりにくい。あげくは借金のかたに土地や港湾や施設などを取り上げられる例が増えている。セルビアもその予備軍だろう。

こうしたやり口の「一帯一路」戦略は、中国の歴史がたどった帝国主義の今につながる基本路線だ。習主席は、一帯一路を独自の独創的な戦略だと思っているかもしれないが、ご本人が気づかないほど中国的な体質から生まれた戦略である。国家権力が情報統制や人権侵害で民衆を抑圧しながら、対外的には覇権主義の牙をむいて弱小国から飲み込もうとするのが中国の歴史的な本性である。

中国コロナ対策はまさに帝国主義的だ。“元凶”としての意識を持たず、真摯な態度を示さず、世界の救済国として振る舞う。危険な国であると多くの民主国家の目には映っているのだが、中国政府にはそれが見えない。見えていないはずはないのだが、それを堂々と糊塗し、隠蔽し、力でねじ伏せようとする。世界は、中国の“帝国主義防災”にかく乱されないコロナ対策を進めなければならない。(2020・4・2 山崎義雄)

ババン時評 人生の意義など考えるな?

 

春彼岸の時節である。高齢者にとってはとりわけ大事な行事の墓参りも、二の足を踏まされるのが中国コロナの暴れぶりである。元凶の中国は、国内の蔓延は抑え込んだとして、これからは「救済国」の役割を果たすと言う。世界の不安、感染者の恐怖、死者の無念を思えば、この中国の“政治発言”には正に開いた口が塞がらない。

たまたま手にした円覚寺派の小冊子「円覚」329号は「春ひがん号」である。冒頭に管長 横田南嶺師の玉稿「禅と念仏-一遍上人に学ぶ-」があり、他宗 浄土宗の一遍上人の句「となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏 なむあみだ仏」を引いている。

この歌を、一遍上人は最初「となうれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の 声ばかりして」と作ったところ、師の法灯国師が「未徹在」、十分でないと評した。そこで作り直したという。これに対して横田南嶺師は、前の歌には「まだ念仏している自分と阿弥陀様との間に隔たりがある」感じだが、後の歌は「南無阿弥陀仏一枚になりきっているのです」と言っている。

この小冊子には、俳人長谷川櫂さんの講演録、「俳句的死に方」(4回シリーズの2回目)が掲載されている。その中で同氏は、「人生の意義を考えるというのは、僕はあまりしないし、やる必要がないと思っている。なぜならば、意義を考える前に自分は生きてしまっているわけです」と言っている。結局は生きるしかないということでもあろう。

そして「自分探しや、今までの人生は何だったんだと思って旅に出たり、お遍路さんに行ったりする人」がいることについても疑問を呈している。長谷川さんは、人生の意義を言葉でとらえる前に人間の生きる姿、死んでいく姿、直感する人の命、人の死を思うと言う。物事を直截的に捉える俳人らしい哲学だろう。これは横田南嶺師の言われる、阿弥陀様と念仏を唱える者が「一枚になりきっている」という瞬間に通じるものがあろう。

もちろん人間の歴史が繰り返してきた哲学的な「生死観」も大事だが、たとえば“コロナ死”という眼前の事実を前にして、人間の生きることと死ぬことの現実的・直接的な意味を直視することも大事だろう。ところがその純粋な生と死の大事な見極めを、国家主義や政治体制や社会環境の波乱要因が妨げている。(2020・3・24 山崎義雄)

ババン時評 古すぎる?国歌「君が代」

NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」で、鶴瓶が2人の女子中学生と話していた。2人は卒業式で、「仰げば尊し」ではなく何とかいう旅立ちの歌を歌ったという。鶴瓶がしわがれ声で「仰げば尊し我が師の恩―」と歌って聞かせる。そして鶴瓶が、わが師の恩の「わが師」とは何かと聞く。中学生は「お菓子」と答える。「我が師」を「和菓子」と聞いたらしい。

仰げば尊し」は、明治17年に発表された唱歌で、今でも中高年には懐かしい愛唱歌である。もう一つ中高年の愛唱歌(と言っては失礼か)に「君が代」がある。前者が師を仰げば、後者は君を仰ぐ。君が代の初出は「古今和歌集」だというから古い。

歴史を遡れば、わが国が律令制度を採り入れた時、朝廷は軍事権を武家に任せて手放した。頼山陽は『日本外史』でそれを嘆き、「未だかつて王家のみずからその権を失えるを嘆かずんばあらず」と言った。そして明治維新で幕府から朝廷への「大政奉還」が行なわれ、大元帥として国軍を統帥する明治天皇が誕生し、太平洋戦争に向かう。

しかし現実の天皇は、明治維新から今日に至るまで、軍事力はおろか政治力とも無縁であった。明治天皇がやむなく政治・軍事に関わったのは、2・26事件で軍部が立ち往生した時と、終戦時の御前会議で結論が出ずに聖断を仰がれた時の2回だけである。

天皇には、権威はあるが権力はない。その権威も物々しい権威ではなく、イメージ的に言えば「尊崇」ないしは、さらに柔らかな「敬愛」「尊敬」にすら近い。この点が、権威と権力を駆使して興亡・生滅を繰り返してきた外国皇室と日本の皇室との大きな違いだ。

天皇家神道だが、神道には聖典がない。新約・旧約・イスラムなど未だに教義でもめるキリスト教系の宗教とは大違いで、ひたすら民安かれ国安かれと祈るのが神道だ。「君が代」とは「天皇個人の世」ではなく「天皇を戴く日本」であり、その永遠の平和を「千代に八千代にさざれ石の」と願うのだ。

寄ってたかってあらゆる権威をダメにして仰ぐべきものを喪失した時代だが、それだからこそ次代を託す若者たちに「わが師の恩」や「君が代」の精神や伝統文化を率直に伝えていくべきではないだろうか。(2020・3・14 山崎義雄)

ババン時評 東北弁の持つ劣等感と誇り

 東北出身の高齢者で若いころ東京に出てきた人には、生まれ故郷のズーズー弁に劣等感を持つ人が多い。しかし、美しい日本語の代表が仮に東京弁や京都弁で、その反対が河内弁や広島弁だとすると、東北弁の好感度は中クラスだろう。少なくとも嫌われてはいない。

方言には出身地による「地方的方言」だけではなく、階級における「社会的方言」があると言う。確かに同じ江戸でも武士と町人の「社会的方言」で話が噛み合わない笑い話が落語などにある。しかし一般に方言といえば「地方的方言」だろう。

浅田次郎の小説には「地方的方言」がふんだんに出てくる。映画やテレビドラマにもなった『壬生義士伝』では、貧困から南部藩を脱藩して新選組隊士となった主人公・吉村寛一郎が南部弁丸出しで話す。そして北辰一刀流免許皆伝の腕前を生かして人斬りも厭わず金を稼ぎ、妻子のために送金し続ける。しかし人柄は朴訥で常に腰が低iい。

その寛一郎の口をついて出る言葉に「おもさげながんす」がある。「申し訳ありません」という最上級の詫び言葉だ。寛一郎は、常に「おもさげながんす」と言いながら稼いで生きて、最後は鳥羽伏見の戦いに敗れて大阪の南部藩藩邸にたどり着き、義と意地を貫いて切腹して果てる。

「おもさげながんす」に似て、身を低くする南部弁に「おしょすい」がある。多分、「笑止」から「お笑止い」「おしょしい」と転じたものであろう。笑い者になる、恥ずかしい、という意味だ。「おでーらに」は「お平らに」、穏やかに、興奮しないでという意味だ。こうした自己卑下や穏やかさを求める言葉、自らの身を律する言葉は東北弁に多い。逆に、人をそしる言葉、馬鹿、アホ、間抜けなどは、純粋な東北弁がなく、標準語など他所からの借りものだ。

東北人の気質は、総じていえば、忍耐、根気、寛容、無口などの自制的な気質が強い。学習院大教授の赤坂憲雄氏は「東北学」で大変な著作を持つが、持論として、名古屋、京都、福岡などは「中世以来のケガレや差別の風土を濃密に持つが、東北には差別がない」と言っている。確かに東北はたとえば「部落」という言葉も普通の「集落」の意味で使う。東北人は、こうした穏やかな東北弁に、東北人らしく内に秘めた誇りを持っていいのではないか。(2002・3・10 山崎義雄)

ババン時評 新型コロナが呼ぶ中国不信

 

中国コロナで“生物兵器”を連想した。新型コロナは工夫次第で生物兵器にもなり得よう。生物兵器は、核兵器化学兵器と並んで3大大量破壊兵器と言われるが、中でも生物兵器は最も安上がりで効果の大きい兵器であるところから、テロなどに使われる恐れが強い。

生物兵器の嚆矢は、古代ギリシアアテナイ軍がヘレボルスという有害な植物をキルハの水源に投入し、敵側に激しい下痢を起こさせて疲弊させ、侵略に成功したことだというから、侵略者にとっては古から魅力的な征服手段であったことが分かる。

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』は、歴史を振り返って、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因は、進化した民族が鉄や銃を手に入れ、これを使っただけではなく、家畜がもたらす病原菌を持ち込んで免疫のない他民族を殺していった歴史だと言っている。

逆に意図しないところで病原菌が寄与したと評価する?珍しい見方もある。15世紀のヨーロッパにペスト(黒死病)が流行り、欧州人口の3分の1が死亡した。時あたかもルネサンスを迎えた時期であり、ギリシャ、ローマの文芸・文化が“後進国”のイタリアに流入したが、ついでにペスト菌も持ち込まれた。

そのペストの流行が、簡単に人が死ぬという現実を目の当たりにした人々に、人生を神に頼って敬けんに生きるか、神から決別して刹那的に楽しく生きるかを問いかけ、当時の哲学者にも影響を与えて、思想史の発展の上でルネサンスに大きく寄与したというのである(出口治明『宗教と哲学全史』)。

残念ながら?病原菌の蔓延にそういうケガの功名的な余禄はまずあり得ない。中国では、1980年代に国際法違反の生物兵器開発が進められ、製造工場もあったという。研究施設か工場から漏れたウイルスによると見られる出血熱が流行ったことがあるというから、中国には病原菌との“親和性”がある。

特に今回の中国コロナでは、露骨な情報隠しをやり、真相を漏らした文化人を拘束し、中国コロナが主要議題になったG20会議に代表を出席させなかったりで、さんざ中国の正体を見せつけた。このような不可解な“近代国家”中国が、軍事力と経済力だけで世界制覇を目指しては、世界の疑惑や疑心暗鬼を招くだけではないか。(2020・3・8 山崎義雄)

ババン時評 高圧中国VS大甘日本

 

被害者が非難されるのは理不尽ではないか。わが国の中国コロナ対策が、初期対応が甘かった、小出しの対策だ、後手後手の対応だなどと非難を浴びている。迅速・適切な初期対応の前に初期情報がなかったのだ。情報隠しの中国こそ責められるべきではないか。

また、中国コロナの“拡大拠点”となったクルーズ船の入港を認めた日本は“大甘”かもしれないが、常識的で人道的な判断だった。イギリス企業の持ち船で、アメリカの旅行会社が運用する同船の入港を認めて、大変な苦労をさせられた日本が、対応がまずいと非難されるのは解しがたい。

日本政府は当初、乗船者の自国への即時帰国を提案したが、アメリカ政府などの要請も受けて入港させ、感染拡大防止に苦労した。それで当初は世界各国の評価と感謝を受けたのだが、船内感染が増えるにつれて手のひら返しの非難を浴びるようになった。

日本の苦労に対しては元凶の中国から詫びの一言もない。さらに、今や中国寄りの姿勢がはっきりしてきたWHO(世界保健機関)は、中国に対する“厳重注意”の声明さえも出すことをやめた上に、この3月初めには、これまでの韓国、イタリア、イランに加えて、日本における流行は最も大きな懸念材料であると名指しで指摘してきた。

中国コロナで危ない国の筆頭にさせられた韓国の文在寅大統領が、習近平主席に頑張りましょうとエールを送って痛く感謝されたという。それには日本も関係あるだろう。こちらからは習主席の来日を断らないと言っていた弱気でお人よしの日本が、やっと習主席の来日延期にこぎつけた。この対応こそ遅きに失した感を否めない。

来日して安倍首相らと握手し、天皇にも謁見し、日本は中国の味方だと国際社会にアピールしようという習主席の目論見が外れた。内外で孤立感を強めている習主席にとっては文大統領のゴマすりも感謝の対象になるのだろう。

ともあれ、ここにきてやっと習主席は中国コロナ蔓延について危機感を表明したり、反省ともとれる言い回しをしたりするようになった。とは言え、本心からの反省でないことだけは明らかだ。国内の関係機関に感染ルートを探れと指示したり、感染源が中国でないかもしれないと匂わせるような言動も見られるようだ。それで世界の信頼を繋ぎとめられるのか。中国よどこへ行く。(2020・3・6 山崎義雄)