ババン時評 恐るべし後藤新平の先見性

まずは私事だが、かれこれ20年近くもむかし、畏友K氏に30数枚の関東大震災の写真をあずかった。なんでもアマチュア写真家が撮ったり集めたりしたものだということだった。関東大震災100年を機に預け先を検討し、先ごろ公益財団法人東京都慰霊協会に納めさせていただいた。

その中に、オリジナルなものではないようだが、時の皇太子で摂政の宮殿下、後の昭和天皇が被災地を視察される上の写真があった。写真の左側に立つのが皇太子殿下、ほぼ中央でステッキを持つ人物が震災後の首都復興を担うことになる後藤新平である。

後藤は、なんと『震災の2 年前に有能な実務経験者並びに学者を集めて「都市計画研究会」や「東京市政調査会」を立ち上げ、「8 億円計画」といわれる都市整備計画を立案していた』(東京大学廣井悠教授2022・6論考)。それによって7年の超スピードで首都復興を成し遂げることができた。

後藤は、帝都復興院総裁兼内務大臣として帝都の復興に当たり、木造平屋の密集する江戸的な東京を、主要道路の拡幅や、鉄筋コンクリートの公的建物が並び、上下水道やガスなどのインフラが整備され、随所に被災地としての緑地・公園を持つ近代都市に生まれ変わらせた。それでも後藤が考えた復興プランの実現には予算の制約などの理由による一部政治家の反対などで目標には遠く及ばず、環状大動脈の道路網建設を断念し、震災で消失を免れた木造平屋建て地区を残存させるなどの結果に終わった。

後藤が100年前に構想した環状大動脈の道路網や現状をはるかに超える緑地帯の確保などが実現していたら、今の首都圏の過密ぶりは大幅に解消されただろう。今後、近い将来に予想される首都直下地震南海トラフ巨大地震に襲われたら、復興計画でまた後藤の名が思い出され、その先見性は時代と共に輝きを増すことになるだろう。(2023・9・17 山崎義雄)