ババン時評 中国は尖閣を盗り沖縄を狙う・中

前回取り上げた中国社会科学院の張海鵬氏の論文は、大要「1879年の日本における琉球合併は違憲であり、国際法に反していたと結論ずけることができる。カイロ宣言ポツダム腺癌は、最も重要な国際文書であるが、どちらも琉球が日本の国土であることを否定している。1972年以降、日本は沖縄県を再編したが、国際法上の琉球の独立主権の問題は解決しなかった」というもの。

前出のジャーナリスト・岡田氏によると、旧知の台湾ジャーナリストは、張氏の論考について「日米が台湾問題をもてあそんで北京をけん制しようとしたのに対し、北京が『では琉球の件はどうなのか』と意趣返しをしたとみている」と解説し、筆者(岡田氏)も同感だとしている。その上で、沖縄と台湾の歴史的近似性は、日本近代史を主語にして考えるとより鮮明になるとして、こう述べる。

前出のジャーナリスト・岡田氏によると、旧知の台湾ジャーナリストは、張氏の論考について「日米が台湾問題をもてあそんで北京をけん制しようとしたのに対し、北京が『では琉球の件はどうなのか』と意趣返しをしたとみている」と解説し、筆者(岡田氏)も同感だとしている。その上で、沖縄と台湾の歴史的近似性は、日本近代史を主語にして考えるとより鮮明になるとして、こう述べる。

明治政府は近代的な国家体制を構築するため、領土画定を急いだ。1872年に琉球王朝琉球藩に、79年には沖縄県として併合する。清朝が強く反発した「琉球処分」だ。そして、1895年に日清戦争に勝利した明治政府は、下関条約を通じて清朝から台湾の割譲を受けた。またその直前、秘密の閣議決定尖閣諸島を日本に併合した。いずれも「世界の一流国」を目指す明治政府の版図拡大の一翼を担う国策だった。

一方、地政学的な近似性について言えば、日本統治下の台湾と沖縄は、大日本帝国による中国大陸・アジアへの侵略を支える食料・人的資源などの後方支援基地になった。戦後は米ソ冷戦期から現在に至るまで、アメリカの東アジア支配のため、中国・ロシア(ソ連)を封じ込める軍事・補給基地であり続ける。

米政府は1972年、沖縄を日本に返還した。返したのは日本の「主権」ではなく「施政権」だったことはあまり知られていない。日本が無条件降伏を受け入れたポツダム宣言は、日本の主権が及ぶ範囲を北海道、本州、四国、九州の4島と、連合国が指定する島嶼(とうしょ)に限定し、そこに沖縄は含まれなかったからだ。日本は1951年のサンフランシスコ平和条約で台湾を放棄したが、帰属先は明示しなかった。その一方、1972年の日中国交正常化の共同声明は、台湾の中国帰属を明確にしたポツダム宣言を順守するとうたった。

日本の経済団体と訪中した沖縄県玉城デニー知事の動きが日中双方の関心を集めていることについて、当時の朝日新聞デジタル(2023年7月5日)はこう伝えている。玉城氏は中国との歴史上の交流もてこに経済連携などを図る構えだが、中国では習近平(シーチンピン)国家主席の発言を機に「沖縄は中華圏の一部」との声が強まる兆しがあるためだ。

 日本国際貿易促進協会の訪中団に加わった玉城氏は先月の会見で、訪中について「沖縄と中国の長く深い交流の歴史を温めていくことが、交流発展の礎になる」と説明した。玉城氏は4日、明清代に琉球から訪れ、客死した使節らを埋葬したとされる琉球国墓地跡を訪問。雑木林に囲まれた碑の前で線香を上げ、集まった日中の報道陣を前に「中国と沖縄のつながりをしっかり結び、平和で豊かな時代をつくるため努めたいとお祈りした」と話した。玉城氏は6日に福建省福州市に移り、地元幹部との会談などに加え、経済交流などを促進するための「福建・沖縄友好会館」なども訪れる予定だ。

習発言の意味に戻ろう。中国は、台湾問題でアメリカと日本が「一つの中国」政策の空洞化を狙っていると反発し、戦後の領土画定に関する国際的取り決めの順守を強く求めている。そこで、先述の台湾ジャーナリストが指摘した「(中国側の)意趣返し」とは、(日本が)台湾問題に干渉するなら、法的には主権と帰属があいまいな沖縄問題を「蒸し返してもいいぞ」という意味だと岡田氏は見る。同感だ。この点から見て玉城氏の中国容認姿勢には問題がある。本気で沖縄防衛を考えるときはないか。(山崎義雄 R6/2/7)