歴史には「ああだったら」「こうすれば」という「たら・れば」話は通用しないという。しかし「たら・れば」は歴史の反省にも教訓にもなる。もし米英がロシア(旧ソ連)と中国(共産党政権)を国連安保理常任理事国に招じ入れていなかったら、国連はいまのような機能不全には陥らなかっただろう。もし北方四島をソ連に割譲せず米国が占領していたら、沖縄より早く返還されていただろう。もし朝鮮半島を分断独立させていなかったら、朝鮮戦争も起こらず、現下の北朝鮮による核の脅威に近隣国がさらされることはなかっただろう。
ロシア(旧ソ連)は、終戦間際のどさくさ紛れに日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦した。すでにドイツが降伏した後であり、後顧の憂いなくスターリンの野望は極東に向けられた。そして日本の権益のあった満州から朝鮮半島、樺太(サハリン)、千島列島へと一方的な侵略を続け、終戦の8月15日をはるかに超えた9月5日に至って北方四島を占拠した。まさに火事場泥棒ではないか。ソ連の対日参戦を求めたのは米ルーズベルト大統領であり英チャーチル首相が同意した。終戦間近のヤルタ会談でスターリンに日本侵攻を求め、見返りに日本の極東権益の大幅割譲を約束した。なぜ原爆投下直前ですでに“死に体”だった日本への侵攻をそそのかしたのか理解に苦しむばかりである。
また中国も日本に勝ったというが、日本は中国に負けた覚えはない。日中戦争は蒋介石率いる国民党軍主体の中国と戦ったものである。もちろん戦前の日本の画策による国共合作の名残で共産党軍も国民党軍の片棒を担いでいた。ともあれ日本は中国に負けたわけではなく実際はアメリカに負けた結果、国民党中国が勝利を揚言するに至ったものである。そしてその後の内戦で国民党政権に勝利して樹立した毛沢東の共産党政権まで日本に勝ったと強弁するに至ったものである。
さらに蒋介石の国民党による「中華民国」は、大戦後の1945年に設立された国連の常任理事国5か国の一角を占めた。だが1949年の国共内戦で共産党軍に敗れて台湾に逃れ、国民党政権による「中華民国」を継承した。だが1971年に至って台湾の「中華民国」に代わって中国本土の共産党による「中華人民共和国」が正当な中国政府として国連常任理事国を継承することが認められた。それは、中ソの対立やベトナム戦争を背景とした米国の思惑によるもので、時のニクソン米大統領の“誤算”が共産党中国の国連常任理事国を誕生させたものである。
「たら・れば」で検証すれば際立つのはルーズベルト米大統領とチャーチル英首相、そしてニクソン米大統領の意外なアホさ加減である。そこから学ぶべきことは偉大に見える政治家の愚考・愚行で歴史が変わるということである。そして偉大ならぬ脅威のロシア・プーチンの凶行や中国・習近平の台湾・尖閣盗りの野望にどう正対すべきかということである。今こそ学者も政治家もジャーナリズムも国民も、それぞれにそれなりに露中北戦略の「たら・れば」を真剣に考えなければならない時だろう。(2023・10・11 山崎義雄)