ババン時評 「AI」は「人知」を超えるか

あたかも人間が執筆したかような自然な文章であらゆる問題に答えてくれる「生成AI」(人工知能)の発展が目覚ましい。学習した大量のデーターを駆使して、利用者の要求する作文・論文などの代筆から画像などの作成・提供までこなす。その生成AIが近い将来、人間の能力を超えるとする論者の代表が、発明家にして思想家のレイ・カーツワイルであり、その主張が「シンギュラリティ=技術的特異点」理論である。

2045年にはその「技術的特異点」を迎えるとも言われ、そうなれば、例えば医学の発達で人間は死ななくなるなどとも言われる。それについては拙稿「ババン時評 AIで不老不死の時代に(2019・5・18)」や、「ババン時評 人間とは,生きるとは,必要な未来哲学(2019・5・15)」などで触れたことがある。そこで披歴した小生の感想は、AIは加速度的に進化する。医療の進歩、遺伝子の組み換えなどによって寿命はさらに伸びるだろう。もしもレイ・カーツワイルの言うAIのもたらすシンギュラリティー(技術的特異点)で死なない日がやってくる。不老長寿から不老不死の世界がやってきたら、本来人間が哲学してきた「生きる意味」さえ考えなくなってしまうだろう。

そして、人生と時間に限界がなければ、限られた時間の中で何かを達成したいという目的意識や生きる欲求が希薄になり、何事も急ぐ必要がなくなる。生きることも死ぬことも考える必要がなくなるのだから哲学も、死と向き合う宗教も必要なくなる。科学技術は、不老長寿の実現に向かって進歩するが、はたして“技術信奉”に過ぎて“精神世界”を持たない世界は幸せな世界なのだろうか、という疑問である。

また専門家の間にも技術的特異点理論への反論がある。ウイキペディアの紹介によれば、生命情報科学者・神経科学者の合原一幸編著『人工知能はこうして創られる』では、『脳を「デジタル情報処理システム」として捉える観点から見れば、シンギュラリティは起こり得るかもしれないが、しかし実際の脳はそのような単純なシステムではなく、デジタルアナログが融合した「ハイブリッド系」であることが、脳神経科学の観察結果で示されている。もちろん、人工知能が人間を超えることを期待すべきではないという学者もいるし、そもそもそうした人間対人工知能の戦争不安はメンタルヘルス上よくないので控えるべきである。神経膜では様々な「ノイズ」が存在し、このノイズ付きのアナログ量によって脳内のニューロンの「カオス」が生み出されているため、このような状況をデジタルで記述することは「極めて困難」と考えられている』としているという。「カオス」こそ“人間能”の特性である。デジタルの“機械能”が“人間能”を超えるのは、たやすいことではなさそうだ。(山崎義雄2024・2・2)