ババン時評 美術史に学ぶビジネス戦略

絵画・彫刻などの美術は、基本的に描きたいように描き、造りたいように造り、それを観たい者は観たいように観るもので、ありていに言えば美術は気まぐれの所産であり、そこにビジネス戦略があろうなどとは思ってもみなかったのだが、面白い本を読んだ。西岡文彦 著 新潮新書「ビジネス戦略から読む美術史」である。

まずは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は「パン屋の看板」だった!?とあり、イノベーションは美術史から学べ!という。ある時、絵画愛好家がフェルメールを尋ねたところ、手元に見せる作品はないがパン屋に1枚あると言うので見に行ったら、あの作品が店に掛けてあった。

時代は16世紀、オランダに始まって欧州全土に広がっていった宗教改革で、教会の絵画・彫刻などが偶像崇拝だとして排斥・破壊され、それまで教会や王室からの注文で宗教的・歴史的作品を制作していた古典絵画の巨匠たちは大きく収入の道を絶たれた。

そこから、画家たちはそれまでの受注制作から自主制作に切り替え、絵画作品を一般市場に向けて制作・販売するという「ビジネスモデル」の転換で、ピンチをチャンスに変えていった。作品も宗教的・歴史的絵画から風景や静物などを扱うようになり、「既製品」の絵画マーケットが拡大していった。

その時代、イタリアに侵攻したナポレオンが「最後の晩餐」を持ち帰りたいと思ったが諦めたのは、巨大な重量を持つ壁に描かれた「不動産」だったからだ。同時に「動産化」されて大量・広範に流通する高級消費財の「モナ・リザ」を残したダ・ヴィンチは稀有の天才である。

また印象派の絵画作品は当初ガラクタ同然だった。その価値を爆上げしたのは画商だったという。フランス革命後の市民社会においてさえゴミ扱いされ、新聞「フィガロ」に猿の落書きと酷評されていた。その前衛アートの印象派作品を金ピカの額縁と猫足調の朝廷風高級家具というミスマッチのコーディネーで売り出し、メディアの活用などマーケティングを駆使しマネ、ドガ、モネ、ルノワールといった印象派の画家の育ての親となったのが19世紀パリの画商ポール・デュラン・リゥエルであった。

そして本書は、今日のネット社会は、だれでも商品を「売る側」に、「事業者」になるチャンスがあるという。つまり現代のネット社会においては常にビジネス感覚を持つべきであり、美術も含めてあらゆる製品をぼんやり作ったり見たり使ったりしてはいけないということになる。ますます世知辛い世の中になってきたような気がしないでもない。(2021・8・12 山崎義雄)