ババン時評 安倍政権の負の遺産

「金融緩和の出口、先送りされた財政再建、政治の信用の失墜、次の首相は、安倍政権の負の遺産に直面します」(石破茂氏、9月29日・朝日新聞)。勝手に言いかえれば、負の遺産とは、アベノミクスの行き詰まり、閉塞感の漂う経済政策、藪の中のモリカケ問題だ。

経済政策のイロハは、財政政策と金融政策の2本柱だが、安倍首相の経済政策は、黒田日銀の金融緩和に頼った、あなた任せの経済政策であり、政府のやるべき財政政策はお寒い限りだ。安倍首相は、景気は上向いているとあれこれ数字を並べるが、これは経済活動のダイナミズムがもたらしたもので、安倍首相のお手柄とは言えないだろう。

で、石破氏は、安倍さんの次が「誰になるかはさておいて、次代の自民党を担う政治家と、次の世代の国民のために、嫌なことは取り除いておきたい。それが私の使命感です」と言い、「捨て石になる覚悟」?を語る。(2018・9・29)

ババン時評 「新潮45 休刊」と「貴乃花引退」と「表現の自由」

 

雑誌「新潮45」は、杉田水脈衆院議員の、性的少数者は「生産性がない」とする論文を載せたことが発端で休刊に追い込まれた。相撲界では、貴乃花親方が「相撲協会から有形無形の圧力があった」として引退を表明した。どちらにも異常な“世論の過熱”が見られる。

新潮45の休刊に関して、編集の立場や杉田発言を援護する声は聞かれない。「言論の自由」を掲げるべきマスコミに、そういう視点で論じる気配もない。杉田発言は「言論の自由」の「らち外」だということだろう。

これに関して、内田樹神戸女学院大名誉教授は、ブログ上で、「言論の自由」には「言論の自由の場を踏みにじる自由」と「呪詛する自由」は含まれないと私は思う、と言っている。思想的な立場で何かと物議をかもす内田教授だが、この言は頷ける。要するに乱暴な言説や呪詛するような言説は「言論の自由」のらち外だということである。

逆に、貴乃花の引退に関しては、相撲界に通じた“専門家”や記者諸君は、相撲協会におもねたり“忖度”して、事の真相に迫る“口ぶり”や筆致が冴えない。世論のほうは判官ひいきで「貴乃花かわいそう」とする意見を中心に沸いている。

ともあれ、新潮45でも貴乃花引退でも、ネット社会におけるこの手の“世論の過熱は、なかなか“常識的”な意見の集約に結び付かない。普遍的な姿勢を期待されるマスコミも、とりわけテレビはその過熱した世論に左右されて腰が定まらない。

ネットを中心とした匿名社会における「世論の過熱」は、「言論の自由」という捉えどころのない“柔軟な理念”を、踏みにじる恐れがある。

2年ほど前の小文だが、山崎義雄のHP「ばばんG」に「政治家の人間力とマスコミの責任」があります。ご覧ください。(2018.9)

ババン時評 「裸の王様」憲法9条

 

安倍三選内閣は、本気で憲法改正に取り組むのか。憲法9条は、一般国民にとって難解な代物だ。それは、一般人の、新聞を読めるていどの“国語力レベル”で理解できないほどに憲法の条文解釈を難しくする人たちがいるからだ。

アンデルセンの童話「裸の王様」は、ペテン師に騙されて、「バカには見えない布地」で織った新しい衣装を身に着けた王様が、お披露目のパレードに出た。お付きの大臣らはすでに「バカには見えない」立派な衣装を“賞賛”しており、見物の民衆も、下着だけの王様に戸惑うものの、やはり「見えない」と言えず讃嘆の声を上げる。そんな中で、一人の少年が「王様は裸だ」と叫ぶという話だ。

憲法第9条を素直にみると、第1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」ことは崇高な理想だと解る。だが、残念ながら現実世界においては、「正義」と「秩序」が大いに乱れて「国際平和」があやしくなり、それをわが国が「誠実に希求」することがむなしくなる状況だ。

次の、「国権の発動たる戦争」は、国の権利を発動・主張しない戦争などないだろうと簡単に読めば、問題はその後の「武力による威嚇」だ。これは現在、北朝鮮のぼんぼんやトランプ米大統領がやっているやり口で、そこから攻撃に踏み切れば「武力の行使」となる。そういうやり方を、わが国は、「国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」という。つまり意味するところは“戦争の全面否定”である。

それを受けて第2項は、「前項の目的」すなわち戦争放棄を達成するために,「陸海空軍その他の戦力を保持しない」うえに、「国の交戦権を認めない」、つまり戦を交える権利を認めないと言う。これが素直な目で見た「裸の9条」である。要するに、「裸の王様 憲法9条」は、本来、弱気な平和主義者だったのだ。

こうしてわが国は、世界に例を見ない長寿の憲法、「弱気の王様 憲法9条」に、「バカには見えない衣装」を着せるように、強気にさせる“論理の着せ替え”を重ねてきたのである。北朝鮮の狂気、覇権国家 中国の脅威などが増している中で、“現憲法死守”を唱える憲法学者や政治家もいるが、今こそ国民の「国語力レベル」で真面目に9条の改正を考えるべき時ではないか。

同テーマの小論が山崎義雄のHP「ババンG」にあります。のぞいて見て下さい。   (2018・9)

ババン時評 安倍三選と政治不信

そして何がどう変わるのか。おそらく安倍三選内閣で大きく変わることは何もない。今回の自民党総裁選で“露呈”したのは、安倍政権と国民意識の大きな“ズレ”である。石破氏はその中間に位置して、国民寄りの地方票を大幅に獲得して善戦した。

安倍首相は、国民の多くに、「ほかよりよさそう」だから支持されたのであり、石破氏は、「人柄や言動が信頼できそう」だから支持されたのである。言ってみれば、安倍氏は「政治的比較」により選択されたのであり、石破氏は「人間的価値」により選択されたのである。現在の深刻な政治不信を回復するためには、どちらの「選択基準」がより重要であろうか。

詳しくは、山崎義雄のHP「ばばんG」を覗いて見て下さい。(2018・9・21)

ババン時評 資本主義の正体

 

リーマンショック」から10年。儲かるからと低所得者を騙してカネを貸し、家を建てさせたが、住宅バブルが崩壊。貧困層が家を失い、金融が混乱し世界経済が震撼した。カネを貸し、長期にわたって生き血を吸うように元利を吸うのが資本主義の正体だ。

資本主義については、折に触れて持論を展開しております。「中高年クラブ ババンG」をご覧ください。

ババン時評 「遠慮する人 しない人」

 

総裁選に当たって、石破氏が「正直、公正」という政治理念の“高言”を遠慮したのに、安倍首相は、公示後初の演説会で「謙虚、丁寧」な政局運営を“高言”した。攻守ところを代えた発言に違和感がある。「正直、公正」「謙虚、丁寧」は、いずれも政治家の人柄、政策立案、政局運営に欠かすことのできない資質であろう。

朝日新聞などの調査にみる世論では、安倍首相の3選を望む理由のトップは、「他よりよさそうだから」であり、石破氏を選ぶ理由のトップは、「人柄や言動が信頼できる」から、となっている。ただし、両者の選択の仕方には相違がある。「他よりよさそう」は、「比較」による選択であり、「人柄や言動-」は、「評価」による選択である。

「正直、公正」と「謙虚、丁寧」、その看板がどちらの候補によりふさわしいか、自明のことのように見えるのだが、それが必ずしも?(ほとんど?)選挙結果に結びつかない。国民の不幸がここにある。

似たような話は、折にふれてHP「中高年クラブ ババンG」に書いています。乞ご高覧。

 

ババン時評 安倍首相とトランプの蜜月

経済学者で思想家のジャック・アタリさんの予測はその名に恥じずよくアタルと言われる。そのアタリさんが、朝日新聞825日)のインタビューで、2030年には、世界のGDPは現在の2倍に。総人口は15パーセント増えて85億人に。国境を越えた不正行為が増え、麻薬や売春など犯罪経済がGDPの15%を超えると予測する。

そして、日本と欧州は共通の危機にさらされる。ロシアやインドなど近未来の大国は、友好国にすら容赦しなくなる。日欧は資本や技術を持ちながらも、企業買収や技術移転などで「生き血を吸われる」恐れがある。それを防ぐには、以前よりも多様化した同盟関係を結ぶ必要があると言う。安倍首相が、トランプ大統領とあまりベッタリ付き合うのは考えものではないか。(2018・9・13 山崎義雄)