ババン時評 働き過ぎは罪悪か

 

現役時代の先輩Yさんから最近いただいた手紙に、こんな話があった。『遠い昔のことですが、私が入社時、当時(日刊工業新聞社の)社長であった増田顕邦氏から訓示を受けました。「この会社は創業間もない。したがって給料は安い。しかし仕事は山ほどあるから安心して働け。頭を使って働きたいものは頭を使え。体を使って働きたいものは体を使え」ということでした』

そして、『私は動く方が好きだったので「体を使う」方を選びました。体を使うということは現場に足を運び「体験」することだと考えました。そうして、2つのことを自分に課しました。一つは「できません」とは言わない。もう一つは「ともかくやってみる」ということでした。このため、ずいぶんと苦労しました』。

さらに、『自分の限界も分かり、人を頼ることを覚えました。そのためには頼れる人との良好な関係を保たねばならないし、より多く、より広く人脈をつくることでした。自分にできないことはお願いしてやってもらう。「できませんと言わないこと」を達成するためにはそれしかありませんでした』

給料は安いが仕事は山ほどあるから安心して働けと教えた増田顕邦なる人物は、戦後早々の昭和21年9月、工業立国を掲げて日刊工業新聞を立ち上げた人物である。ついでに言えば、現在の日本経済新聞日刊工業新聞は、先の大戦中、国の新聞統制で一緒にさせられていた。その日刊工業新聞を戦後の焼け跡に再建したのが増田顕邦だった。再建というより創業社長というべき人物で、田中角栄や政財界の大物たちとも親交を結んだ異色の経営者だった。

増田の教えは、戦後経営者として代表的な土光敏夫さんの、「会社で働く者は智慧を出せ、知恵の出ない者は汗を出せ」といった教えに通じる。増田は、戦後の先鋭な労働組合運動に対抗して、企業内に「働き党」を結成する運動を提唱し、産業界に少なからず影響を与えた。

しかし時代は変わった。アベノミクスによる働き方改革のきっかけは電通女子社員の過労自殺だった。仕事に厳しさを要求する「電通鬼十則」は廃棄された。働き方改革の目玉は残業規制である。「働くことは善いことだ」と考えられてきた日本古来の労働観は否定され、働き過ぎは罪悪視される。時代の潮流はそう動いている。古い労働観などは一顧だにされない。本当にそれでいいのだろうか。(2019・7・4 山崎義雄)

ババン時評 トランプ氏のイラン攻撃中止

 

素直に賞賛していいのだろか。トランプ大統領が、米軍の無人偵察機を撃墜したイランに対する報復攻撃を、「10分前に中止」させたとアピールした。攻撃したらイラン側に何人の死傷者が出るかと関係将軍に聞いたら、約150人だとの答えに、人的被害ゼロの無人機の撃墜とは、つり合いが取れないと判断したという。

人道主義というよりも単純な商人感覚のゼロ対150のそろばん勘定か。軍事衝突に発展するよりも、制裁強化の圧力路線を継続するほうが得策だと判断したのも商人感覚だろう。それにしても無茶をしかねないトランプ大統領が直前に攻撃中止を指令したのは幸いだった。

もし攻撃が実施されたら、先に両国の仲裁役を買って出てイランに出向いた安倍首相も道化役を演じたことになり立場を失っていたことだろう。揚げ句に、日本も対イラン戦に応援しろとトランプ大統領に言われでもしたら目もあてられない仕儀となる。

アメリカは戦争の好きな国だ、と言うのは、憲法学者樋口陽一氏と小林節氏だ。樋口氏は護憲派の大御所。小林氏は自民党憲法改正草案づくりの初期に参加して改憲派と目されていたご仁。お二人の著書、「憲法改正の真実」(集英社新書)は、日本はアメリカにつくってもらった憲法9条(戦争放棄)のおかげでアメリカの戦争に付き合わずに済んだという。

さらに、アメリカが始めてまともに終わった戦争はないといい、ベトナムアフガニスタンイラクも結局動乱が拡大した。アメリカが勝った戦争はない。むやみに戦争をしたがるアメリカについていったら、新しい敵をつくるし、人も殺すし、テロによる報復の恐れも出るし、軍事費がかさんだ挙句、アメリカのように国家破産寸前の状態に追い込まれる、と言う。

今度のイラン攻撃中止でいちばん怖い教訓は、トランプ氏という個性の、気まぐれに近い10分前の指令で戦争が回避されたという事実である。逆の気まぐれも大いにあり得る。最近見た映画「空母いぶき」(この話は別に書いた)では、佐藤浩市扮する総理大臣が自衛権発動の決断に呻吟する。そして決断する。敵国連合とのし烈な戦闘は、国連による派遣艦隊の介入によって収束する。事態が収まった後に佐藤浩市総理大臣は、「あと3年(総理を)やってもいいかなー」と側近にもらす。現実の安倍首相は4選に気がある。トランプ大統領は再選を目指す。気を許せない日米関係が続く。(2019・6・26 山崎義雄)

ババン時評 自衛隊はいつ実戦を迎えるか

 

遠からず自衛隊が実戦を迎える日がくる? 人気漫画家かわぐちかいじ原作の映画「空母いぶき」を見た。話のスジは20XX年、わが国の海上警備隊員を拘束して離島に不法上陸した“敵国連邦”部隊に対して、わが国自衛隊が出動する。すさまじい空と海の戦闘が展開される。

空母いぶきを中心とする艦艇群に、「これは訓練ではない。実戦だ」という指令が飛び交う。空母いぶきでは、この戦いは、これまで一人の戦死者も出したことのない自衛隊の危機だと言う副長(配役・佐々木蔵之介)に、本当の危機は国民に被害が及ぶことだ。国民を守るために自衛官の自分が死ぬことは何でもない、と艦長(配役・西島秀俊)が言う。

わが国自衛隊は1992年(平成3年)の湾岸戦争時の、「後方支援・復興支援」のための海外派遣を皮切りに、国際連合平和維持活動(PKO)をはじめ各種の目的で平成30年間に、10数度の海外派遣を行ってきたが、幸いにも1人の犠牲者も出していない。派遣自衛官だけでなく、この平成の30年間に、実戦を知らずに将官・将軍となり退役していった自衛官も大勢いる。

失礼ながらその一人、河野克俊前統合幕僚長が、朝日新聞(5・17)で、北朝鮮のミサイル発射で緊迫した2017年に、自衛隊の対応を真剣に検討したと語っている。すなわち、米軍が北朝鮮を攻撃した場合は、16年施行の安保法制に基づき、米軍を後方支援する「重要影響事態」や、米軍が攻撃された場合に集団的自衛権の行使で自衛隊が反撃する「存立危機事態」を想定したという。

現実は憲法改正の騒がれる時節柄であり、映画で私の目を引いたのは、内閣総理大臣(配役・佐藤浩市)の苦悩と決断である。関係大臣に決断を迫られながら、日本は戦争しない国であると再三発言して悩み、自衛官の死者が出るにいたって自衛権の発動を決断する。これは「戦争」ではない。自衛のための「戦闘」だと言う論理である。

集団的自衛権は、憲法違反と騒がれながらも4年前の安保関連法で認められた。今度はそれを「緊急事態の宣言」として憲法に盛り込もうと安倍首相は考えている。武力攻撃、内乱、自然災害時などの緊急事態発生時に、総理大臣が「緊急事態の宣言」を発して、必要な国家権力の行使を容易にしようというものだ。憲法改正はその賛否を問うものであり、国民にとっては簡単に賛否を決めかねる重い問いかけだ。(2019・6・22 山崎義雄)

ババン時評 国民の前に議員が憲法を学べ

 

安倍首相の熱い思いを受けていよいよ自民党憲法改正に向けて動き出そうとしているようだ。この、雲行き次第では票を失いかねない危ない憲法問題を、自民党はあえて夏の参院選の争点にする構えだ。自民党は、議員の理解を深めるため、憲法改正の重要項目について、派閥ごとに勉強会を開いているという。付け焼刃的ではあるが、やらないよりはましだろう。

おもしろいのは、自民党が、有権者向けに憲法改正の要点を解説する漫画本を作成するという。自民党憲法改正の重要条文案4項目は、①自衛隊の根拠規定の明記、②緊急事態対応、③参院選の合区解消、④教育充実だ。このあたりを分かりやすく説明するのがその漫画本で、40ページの小冊子を20万部印刷してばらまくという。読者対象は若い世代だが、実際はまず参院選候補者や国会議員先生がこれで勉強することになるのだろう。

漫画本を見なければ正確な説明内容は分からないが、説明しようとする内容でダントツ重要なのは、①自衛隊の根拠規定の明記である。安倍首相の持論からすればそれは、「戦争はしない」「戦力は持たない」とする現行9条はそのままにして、それに自衛隊の存在を認める条文を付け加える加憲である。しかしそれは、憲法制定以来の“病根”(すなわち「戦力不保持」)がそのまま残り、これからも自衛隊違憲論がくすぶり続けることになる。それを議員諸氏は有権者にどう説明できるのか。

次いで重要なのは、②緊急事態対応だ。緊急事態対応とは、わかりやすく言えば、米国軍(同盟国)が攻撃された場合に自衛隊(日本)が参戦することである。緊急事態対応の根拠が「集団的自衛権」だ。集団的自衛権自衛権の“拡大解釈”であり憲法違反だと騒がれながらも4年前の安保関連法成立で認められることになった。しかし現実の国際紛争下で、現実の戦場でどこまで日本軍の参戦が許されるかは、論議の絶えないところだ。それを有権者にどう説明できるのか。

要するに憲法改正は、自民党議員も参院選立候補の新人も、なまなかなにわか勉強では間に合わないはずの難問だ。それを安倍政権は、参院選後の秋ごろから国民的に憲法改正論議を盛り上げ、来年1月の通常国会憲法改正発議を行い、来年のうちに国民投票に持っていく腹積もりらしい。議員の理解もおぼつかないままに国民に改憲条文に対する賛否の判断を迫るというのは如何なものか。安倍首相の強権的な行動力に不安を覚える国民もいるのではないか。(2019・6・20 山崎義雄のHP「中高年ばばんG」に同テーマの拡大版あり) 

ババン時評 歳をとっても女は女?

 

60代の女性が、「夫と性生活がなく切ない」と訴える。読売新聞(6・19)「人生案内」欄の人生相談だ。娘も嫁ぎ孫もいて、夫とは円満。何の不満もない生活だが、「若い日の性生活を思い出して、とても寂しくなることがあります」と言う。

回答者は、「ハートつきのスヌーピーが描かれた便箋につづられたご相談」に「少女らしい初々しさ」まで感じながら、たとえば一緒に歩くとき手をつなぐなどして、「少しずつあなたの気持ちを伝え、夫に気付いていただけたら良いかと思います」と、あまり効き目があるとも思えない(失礼)助言をする。

そこで思い出したのは、だいぶ昔、エッセイにも書いた2人のご婦人の体験談である。探してみたら2008年1月に書いた「新春小話」というエッセイの中で取り上げた小ネタだった。1つは、あるご婦人が医者の診断を受けたときの話である。医者に、「はい胸出して」と言われて胸を出し、聴診器を当てられた。次に「はい舌出して」と言われ、赤面してもじもじしてしまったというのである。

そのご婦人いわく、胸の次に「シタ」出してと言われたので、胸の下は「アソコ」だと思ったというのだ。ちなみにこのご婦人、その時70のご高齢である。実に日本語は面白い。今どきの娘さんなら、たとえ同じ勘違いをしたとしても、もじもじなどしない。ためらうことなくほいほいと脱ぎ始めるか即座に拒否するか、はっきりした対応をみせるのではないだろうか。

 もう一つ。これも本当の話である。妻にちょっとした相談を受けた夫が「俺は関係ない」と答えたら、奥さんが怒って「関係ないということはないでしょう。関係を持ったでしょう」といったという。妻は、夫婦の間で関係ないというのはおかしいと言ったつもりだろうが、言い方がおかしい。夫は一瞬、とまどいの表情を浮かべてから、「うん、関係を持った」と答えたという。夫は、50年以上も前のあの日、あの時のことを懐かしく思い出した。

男女同権などというお題目ではなく、現実に各界各層で男女格差がやり玉に挙げられる今日このごろは、「女はかわいいもの」などという古い価値観を持ち出しても非難されるだろう。しかし、読売人生相談のご婦人などは、女はかわいいもので、歳をとっても女は女だと、すっかり枯れきった後期高齢者までニンマリさせてくれる。(2019・6・19 山崎義雄)

ババン時評 変わるべきは韓国だ

 

やはり韓国はやっかいな隣人だ。読売新聞(6・12)によると、同紙と韓国日報の共同世論調査では、日韓両国の8割超の国民が、日韓関係は「悪い」と答えた。対韓感情の悪化の背景には、同紙社説(6・12)が指摘するように、韓国による「歴史蒸し返し」への苛立ちがある。

文政権は、元慰安婦支援財団の解散を一方的に決めた。韓国最高裁は、日本企業に元徴用工への賠償を命じた。韓国海軍による海上自衛隊機へのレーダー照射事件でも韓国は逆に日本の非を鳴らして事実関係を認めていない。日本通のはずの文喜相韓国国会議長は天皇陛下に元慰安婦への謝罪要求を突き付けた。文氏は、訪韓中の鳩山由紀夫元首相に前言を翻して謝罪した(読売6・14)というが、気軽な鳩山さんだからこのへんで気軽に謝っておこうと思ったのかもしれない。これは茶飲み話レベルであり、公式の謝罪ではないし本心とも思えない。

共同調査では、慰安婦問題で日本がさらに謝罪すべきかどうかについて、日本では「必要はない」、韓国では「必要がある」、元徴用工の問題でも、日本政府の主張を、日本では「納得できる」、韓国では「納得できない」と、いずれも8割台で正反対の結果になっている。なぜこうまで日韓国民の意見が真っ二つに割れるのか、理解に苦しむところだ。

文大統領は、去る3月の「三・一独立運動」100周年記念式典で、「朝鮮半島の平和のために日本との協力を強化する」と宣言して日本を驚かせた。今月6日には、「愛国を前にして保守も進歩(左派)もない。社会を二つに分断する時代は過ぎ去った」と、国会で演説した。左の文大統領も、左右の板挟みや日韓関係の損得勘定やらで、定見もなく腰が定まらない。

日本から見ると韓国は、歴史を直視せず都合よく歪曲する。政権が替われば国家間の約束を反故にする。こんな国が相手では、レーダー照射問題でも、あきれた日本側がサジを投げて無視するという大人の対応に出ざるを得なかった。しかし韓国はこれを「うまくいった」と思いかねない。そんなレベルの国では、まともな外交も信頼の構築もむずかしい。

共同調査で、『明るい材料は、29歳以下の若年層で、相手国に「親しみを感じる」が、日韓ともに4割台に達したことだ』というが、そのあたりにかすかな期待をつなぐしかないのか。いずれにしても変わるべきは韓国側だろう。(2019・6 山崎義雄) 

ババン時評 消費増税はダメ?そのワケ!

 

安倍首相は、息の長い景気回復を“自讃”してきたが、大方の国民は一向に景気回復の実感をもてず財布のヒモを締めている。事実、頼みの個人消費が低迷したままで、参院選を目前に景気の失速が危ぶまれている。そんな状況下で秋の消費増税を巡る論議がいよいよ熱を帯びてきた。

消費増税に対する賛否の論点は、「景気重視」か「財政重視」かだ。具体的には、目下の不確かな景気の状況下で消費増税を行えば間違いなく景気は失速する。それでいいのかというのが「景気重視派」の主張だ。一方、「財政重視派」の主張は、これ以上の財政悪化は、国の借金のツケを孫子の代に回すことになる。それでいいのかということになる。さてどちらの主張が正しいのか。国民の1人ひとりが判断を迫られることになる。

しかし、ここで重要なのは、判断のポイントは「景気」か「財政」かという単純な二者択一の問題ではないということだ。ここを勘違いすると、選択に苦しむことになる。景気悪化を招く政治を良しとする国民は1人もいない。同時に、財政赤字のツケを子や孫の世代に回す政治を良しとする国民もまた1人もいない。要するに「景気」と「財政」は並列・拮抗する選択肢ではない。

現在の国の借金は1100兆円、国民一人当たり885万円である。今度の8パーセントから10%への消費増税における、2%アップ分の税収増は、6.8兆円。そこから、将来世代の負担軽減(赤字国債の発行減)に使う分は2.8兆円。借金減らしには焼け石に水だ。

前回14年度の5%から8%への消費増税では、実質GDPはマイナス成長に転落した。今回の10%への消費増税も、実施すればマイナス成長に陥る公算が大である。さらに、前回の消費増税では、落ち込んだ景気回復のために、増税後に企業減税財政出動でテコ入れを余儀なくされた。ばかばかしい出費ではないか。

そもそも、財政改革は、景気対策のような目先の対策で解決できる課題ではない。また財政改革は、財務省好みの増税ではなく経済成長による歳入増で狙うべきだ。令和の新時代における政治は、国民の生活不安を取り除くこと、国民に心のゆとりを取り戻してもらうことだろう。そうなれば国民の財布のヒモも緩む。ここは消費増税を再び見送って、少なくともさらに数年の間、景気の先行きを注視する必要があるのではないか。(2019/6・7 山崎義雄)