ババン時評 露中北、危険な“三角関係”

今年は、朝鮮戦争(1950~53年)の休戦70年ということで、いろいろな記念行事が北朝鮮で開催されたようだ。7月27日の軍事パレードでは、金正恩総書記と並んで中露の政府代表が閲兵したという。露のプーチン大統領が送った祝電では、朝鮮戦争ソ連パイロットや兵士が朝鮮軍と共に戦ったという両国の絆に触れていたという。露の朝鮮戦争参戦の事実は、ソ連崩壊の1985年以降のグラスノスチ(情報公開)で初めて明かされたとされる。一方、中国の朝鮮戦争参戦は、「人民志願軍」という隠れ蓑を着て行われた。

朝鮮戦争の始まりには裏話がある。第二次大戦後、朝鮮半島戦勝国によって南北に分断統治された。1949年、金日正が北朝鮮政府代表団として統治国ロシアを訪問した折に南朝鮮侵攻の計画を明かして承認を得ようとするがスターリンはウンと言わなかった。そのスターリンがこの“北の若造・金日正”にやらせてみようと思ったのは、ロシアが原爆を手に入れ、中国共産党が国民党から政権を奪取したことで、露中でアメリカに対抗できると踏んだからだ。50年に金日正の南侵攻計画を認めたが中国・毛沢東の承認を得ることを条件とした。露は中国を“隠れ蓑”にするつもりだった。

朝鮮戦争の引き金を引いたのはアメリカだという説もある。宮崎正弘 渡辺惣樹著『戦後支配の正体』(ビジネス社刊)で宮崎氏は、アメリカという国は「敵と味方を間違える名人」だとして、まず1950年1月に、時のトルーマン大統領が「中国が台湾に侵攻しても、アメリカ政府は関与しない」と表明したかと思うと、アチソン国務長官が「アメリカの極東防衛ラインをアリューシャン列島から日本列島、琉球諸島、さらにフィリピン諸島」として、韓国と台湾をそのラインから外したと指摘する。これに驚いたアメリカ共和党は「金日正に朝鮮戦争開始の青信号を出した」と猛烈に批判したという。

今ロシアは北朝鮮から武器砲弾を調達したいという事情があり、北朝鮮はロシア軍が使用可能な砲弾を大量に備蓄している。金正恩は今回、朝鮮戦争停戦70年の式典に招請したロシアのショイグ国防相を兵器の展示会に案内してロシアの接近に応えた(読売新聞8・11)。その一方、中国からの李鴻忠共産党政治局員との会談では、「中国の国際的地位が高まっている」と語り、「習近平主席の賢明な指導」を称賛したという。金正恩習近平とうまくやっていく自信を強めている。

産経新聞(7・29)は、「米中が戦った朝鮮戦争、休戦70年でも語られない歴史的事実」の記事中で『朝鮮戦争の名残で「在韓国連軍司令部」は今も存在し、在日米軍はその後方基地になっていて「弾薬580万トンが韓半島へ出動待機、後方基地無しでは全面戦には致命的」(27日付、朝鮮日報)』という記事を引き、「にもかかわらず当時、後方で日本の支援があったからこそ北からの侵略を撃退できたという歴史的事実は、休戦70年でも語られない」と報じている。改めて日米韓の絆が問われるとともに、70年前に始まる露中北の“三角関係”は北の軍事力増強でますます危険度を増している。(2023・8・20 山崎義雄)

ババン時評 バレた日銀物価目標の欺瞞・2

黒田総裁の前任、白川方明総裁は緩やかな物価上昇は考えていたものの、安倍首相の2%目標には反対して辞任に追い込まれた。後を受けた黒田総裁は、「4月4日午前、コーヒー休憩後に再開した席で(読売新聞8・1)、2%の目標達成は『2年程度を念頭に置いている』と踏み込んだ」。岩田副総裁も呼応し、「15年も続いているデフレから脱却するには、2年程度で2%のインフレ(物価上昇)目標を達成しなければならない」と訴えた。

しかし、議事録からは複数の審議委員が大規模緩和を疑問視していた様子がうかがえる。佐藤健裕審議委員は「お金の量の調節でインフレ期待やインフレ率を中央銀行がコントロールできるかのような考え方には重大な誤解がある」と指摘し「ギャンブル性の強い政策となる」とした。結果的に見れば黒田氏は任期10年をかけて2%目標を達成できなかった。

先の読売は、報告書について、岩田元副総裁と疑義を唱えていた木内登英元審議委員にコメントを求めている。さわりの部分を引用すると、岩田氏は「我々が決めた異次元金融緩和は金融政策の転換点となった。画期的な内容で、物価上昇目標の2%は達成しなかったかもしれないが、デフレにはならなかった」と強がりにも聞こえる主張を行っている。

一方、木内氏は「物価上昇目標の2%に根拠はなかったし、高すぎるという考えは今も変わらない。最近は3%を超えているが、持続的に2%を達成できるかは見通せない」としている。木内氏の変わらぬ主張と今後の見通しは的を射ているのではないか。

そして黒田氏は、今年4月の退任を指呼の間に臨んだ昨年暮れ、それまでかたくなに守ってきた長期金利の上限0.25%を0.5%に引き上げると発表した。さては金融緩和にピリオドを打って金融引き締めに出るのかと思われたが、黒田氏は金融緩和路線に変更はないと言う。

そこで当欄「ババン時評 黒田日銀金融政策の変節なぜ」(12・24)では、次期総裁候補もすでに何人か下馬評に挙がっている段階であり、新総裁が黒田氏の金融緩和政策を踏襲してくれればいいが、引き締め政策に転換されれば自分の業績にキズが付く、メンツがつぶれると考えて、新総裁の新政策への軟着陸を考えたのではないかと低俗かつ単純に推測した。

そして今年4月、新総裁に就任した植田和男氏は、大規模な金融緩和策を引き継ぐことを明言しながらもわずか3か月後の7月には、長期金利の上限を1.0%に引き上げた。これは実質、黒田日銀10年の金融緩和政策からの「出口」に向かう動きではないか。そしてアベノミクス政策の片棒を担がされてきた日銀が、ようやく独自性のある金融政策に取り組む姿勢を示し始めたように見える。(2023・8・12 山崎義雄)

ババン時評 バレた日銀物価目標の欺瞞・1

任期の10年間をムダに過ごして去った黒田東彦日銀総裁による物価目標政策の大ウソがバレた。このほど黒田日銀スタート当時の日銀の議事録が公表され(7・30)、マスコミが一斉に報じた。黒田金融政策は大失敗だった、大ウソだったと報じているわけではないが、折りに触れて庶民感覚・生活者の視点から黒田金融政策を批判してきた当方「ババン時評のババン爺」からすれば、この議事録によって黒田日銀による物価目標のでたらめさ加減、大ウソの舞台裏がバレたとしか言いようがない報告書の内容である。

議事録は年2回、10年経過後に半年分がまとめて公表されるようだが、今回の報告書は、2012年12月に発足した第2次安倍晋三政権が求める2%の物価目標導入に否定的だった白川方明日銀総裁が13年3月に任期途中で退任、後任の黒田東彦総裁がアベノミクス「第1の矢」として異次元の金融緩和に踏み出した時期に当たる。

「時事エクイティ」(7・31)等の報道によれば、安倍政権が任命した積極緩和論者の黒田氏の下、日銀と政府の関係は対立から蜜月へ変化したが、ここから「壮大な社会実験」とも呼ばれる異次元緩和は出口の見えないトンネルに入っていく。2年以内2%の物価目標が達成されなかっただけでなく、何回か先延ばしされながらついに黒田氏の任期10年間での目標達成はならなかった。

白川氏から総裁を引き継いだ黒田氏は、就任後初めて臨んだ4月3、4日の会合で居並ぶ政策委員を前に「これまでと次元の違う緩和を行う必要がある。戦力の逐次投入は避け(物価)目標をできるだけ早期に実現する」と切り出した。金融緩和を唱える「リフレ派」の論客で副総裁に就いた岩田規久男氏も「一番大事なことは、2年程度で2%の物価目標を達成することだ」と訴えた。

最初から当欄「ババン時評」が物価目標政策を批判してきたのもそこで、需要があるからこそモノの値段が上がるというのが経済のイロハであり、需要に応じて供給が増えるからこそモノの値段が上がり、それを経済成長と言うはずなのに、需要を無視してモノの値段を挙げようというのはムチャな話である。異次元の金融緩和でカネを市中にジャブジャブと注ぎ込むことで、2年で2%の物価高にもっていこうというのだから、生活者はたまらない。

黒田総裁は財務官やアジア開発銀行総裁を歴任した金融政策のプロ、岩田氏は著名な経済学者で上智大学学習院大学名誉教授。そこに目を付けてそれぞれ日銀総裁・副総裁に任命したのが安部氏である。カネが足りなければ国家紙幣を発行しろなどという岩田先生の金融理論を奇異に思うのは私だけではなかろう。

3氏には共に庶民感覚をあまり持ち合わせていないという特徴がある。難しい金融理論は分からないが、安倍・黒田・岩田の3氏に苦言を呈してきたのは庶民目線でおかしいことをおかしいと言ってきたまでだ。もう少し書きたかったが指数が尽きた。改めて続きを書きたい。(2023・8・5 山崎義雄)

 

ババン時評 人それぞれ「人生の主役」たれ

 「どんな極悪非道の悪人も平気で演じられる役者は、人間として信じられない」と真顔で言って笑わせてくれた知人のご婦人がいる。笑った当方も遠い昔の子供の頃は、銀幕で悪役を演じる映画俳優は、本当に悪い人間だと思っていたものだ。しかし今でも「はまり役」と言える役柄を真に迫って演じる役者を観ると、この役者は多少なりともそういう資質をもともと持ち合わせているのではないかと思うことがある。

悪役でなくても、渥美清の演じる寅さんは、渥美清の中に住んでいると思うことがある。そうでなければ演技にウソ臭さがにじみ出ることにもなるだろう。山田洋二監督は、渥美清の中に住んでいる寅さんを発見したのではないか。そして渥美清は、山田監督と庶民の抱く「寅さん像」を損なわないように禁欲的に生きた。同時に、そういう寅さん的人生をムリなく生きられたところに、渥美清の人生が嘘の人生でなかったこと、外連味と生真面目さを併せ持つ渥美清の資質があったのではないか。

ただし役者を育てる人間は役者の資質を見抜くが役者が成長し変貌していくことも確かだろう。読売新聞の週刊エンタメ欄(7・29)に、劇団四季の舞台で50年前に同時デビューしたという「共に名優で、盟友。市村正親(74)と鹿賀丈史(72)」の対談記事が載った。四季時代に市村は(代表の)浅利慶太さんから「お前はクレソンみたいだね」と言われたことがあるという。クレソンとは、「調べたら添え物の野菜だった」と笑う。鹿賀は浅利さんから「主役はチョロチョロ動くな。真ん中でドーンとしていろ」と言われたという。

ミュージカルはあまり見ないが、鹿賀が挙げている代表作の1つで、だいぶ以前に帝劇で見た「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンを演じた鹿賀の存在感と歌唱力は圧倒的だった記憶がある。市村は「丈史がステーキで俺はクレソンか―。ミニステーキぐらいにはなってやる」と心に誓い、鹿賀が79年、市村が90年に四季退団後も2人はともに切磋琢磨し共演もしてきた。今回、ミュージカル「生きる」では、18年、20年に続いて3回目の主演ダブルキャストを務めるという。

市村は、胃がんで死んでいく「生きる」の主人公を、初演の時は自らの初期の胃癌を押して演じたがその後癌は克服したという。初演のとき志村けんさん(20年死去)が見にきてくれていて、楽屋まで来てくれて、市村さんいわく「天下のコメディアンが涙を流しながら、これが本当のミュージカルだと言ってくれた」と言う。良い意味で役者も成長し化けるのであろう。

役者さんには失礼だが、俗に「瘡っ気と芝居っ気のない人間はいない」とも言われる。「カサっけと芝居っけ」-、カサ蓋を作ったことのない人間はいないだろう。自分はああなりたいこうなりたいと空想したり、そう振る舞ってみたりする「芝居っ気」のない人間もいないだろう。「気(き、け)」とは何かとなると難しいが、簡単に言えば、心の動きや身の回りに漂う気配のようなものであろう。人は皆、それぞれが人生の主役である。役者のような演技力を身につけるべきだとまでは思わないが、ウソのない「芝居っ気」を身に着けて楽しく生きられたら幸せではないだろうか。(2023・8・1 山崎義雄)

ババン時評 極楽・地獄はこの世にある

お盆の季節だが、お盆の時期や行事は地方により、地域により、家庭により実にまちまちに行われる。大雑把にいうと関東や都市部では7月盆、関西や地方では8月盆が多いという。地方や都市でも庭のある家では迎え火・送り火を焚いて身内の死者の魂を送り迎えするが、その習いも庭を省略する住環境の広がりとともにすたれてきているのではないか。

菩提寺より禅宗円覚寺派発行の小冊子『円覚』(令和5年うらぼん号)をご恵送いただいた。巻頭に横田南嶺管長のお話「敬うもののある暮らし―儀式の大切さ―」が載っている。師は幼少の頃、人は死んでどこへ行くのかと疑問を持ち、十歳のころ座禅に参加し、指導を受けた和尚や老師を尊敬しながら座禅してきた半生を語り、儀式の大切さを語っている。

ところでお釈迦様は、あの世や極楽・地獄について何も語らず、この世をしっかり生きればいいのだと教えている。はたして本当に極楽・地獄はあるのだろうか。あの世にあるかどうか分からないが、この世にあることは確かではないか。

この世の極楽は、ゆったりと湯に浸って「極楽、極楽」と言うたぐいの極楽から、思いもかけず「うまい汁」を吸うとか「僥倖」に恵まれるという場合や、許し難き極楽には酒色におぼれる極楽もあろう。だが本当のこの世の極楽は、「穏やかに生きる幸せ」ではないだろうか。一方の地獄は、僧・源信が寛和元年(985年)の昔に著わした『往生要集』が教えた修羅(憎しみ、嫉妬、暴力)、畜生(獣、非情)、餓鬼(飢餓、欲望)の世界がある。こうしたこの世の極楽や地獄は、人間すなわち「人との間」「人である間」に巡り合う束の間の現象である。

冒頭に引用した横田南嶺管長のお話では、森信三先生の言葉、「尊敬する人が無くなった時、その人の進歩は止まる。尊敬する対象が、年とともにはっきりして来るようでなければ、真の大成は期し難い」と言う言葉も引いておられる。

凡俗の耳には痛いところもあるが、たしかに横田老師の教えるとおりだろう。この世をどう生きるかは人それぞれだが、歳と共に受けた恩義のありがたさが鮮明になり人の偉さが見えてくるようでなければ慢心したあげくに高転びに転ぶことにもなろう。

ともあれ、いい歳になってから心の葛藤・懊悩だけは抱えたくない。穏やかに生きて、競合や葛藤は「人である間」のどこかで捨て去らなければならない。競合や葛藤を捨てきれず、望みも成就できなければ地獄を生きることになるだろう。(2023・7・23 山崎義雄)

ババン時評 マイクロソフト営業への疑問

パソコンの扱いに弱い当方ではあるが、通常は、ソフトを更新した場合などで新たに「サインイン」が必要な場合、PCを開いた最初の画面、風景写真をバックにして中央に「時刻」や当方「個人名」などが表示された画面の「パスワード記入欄」にパスワードを入力して「サインイン」完了、「初期メニュー画面」が開く―はずだった。

しかし今回はグーグルではなくいきなりマイクロソフトに画面を占領され、マイクロソフトでの「サインイン」が求められた。しかもサインインの必要性も感じられない日常的な状態でパソコンを開いたら、いきなりマイクロソフト画面が立ちふさがったという感じだった。

しかたがないので、昔使っていたマイクロソフトの「パスワード」と思しきものを入力してみたのだが「違います」ということで、何度かやり取りした後、マイクロソフト側から指令されたのは、マイクロソフトの「メールアドレス」に「ピンコード」を送信したのでその「コードを使って再度サインインしてください」との指示だった。しかしそう言われてもまだ肝心の「スタートメニュー」画面が立ち上がっていない段階なのだから、メールを開いてマイクロソフトから送信された「ピンコード」を読むことはできない。

それ以後の3~4日、そちこちへ電話して解決策を尋ねる。マイクロソフト、グーグル、パソコンのDEL、ヤフーBB、NTTリモートサポート―。まず電話番号を探すことが簡単ではなく、やっと探して電話しても有人では相談に乗ってくれずパソコン対応に誘導される。唯一、NTTリモートサポートだけが3回、3人のプロが有人対応で相談に乗ってくれたが解決策は見当たらなかった。NTT-は、こちらのパソコンに入ってくれればいつも難問を解決してくれるのだが、今回はこちらのパソコンに入れなかったこともあって解決に至らなかった。

最後の頼みの綱とパソコン購入先のヤマダデンキのPCサポートサービスにパソコンを持ち込んで有料サポートをお願いした。サポートに当たった担当者が、これまでのいきさつや当方のメモ書きしたグーグル用のメールアドレスやアカウント、パスワード、それにだいぶ以前のマイクロソフト用のメールアドレスやアカウント、パスワードなどや、自分用に書き散らしていたA46枚ほどのメモなどをパラパラとめくって、「これかな」とか言いながら、4桁の数字に見当を付けて、PC画面の「ピンコード記入欄」に打ち込むと、なんと今までびくとも動かなかった画面がパッと開いて「スタートメニュー」画面が立ち上がった。所要時間数十秒。相談料金4,400円。神対応に驚くとともに、ここ数日の悪戦苦闘を思えば料金も高くはない。

早速メールを開いて見たら、なぜかマイクロソフトからのコード送信は入っておらず、グーグルから「Galaxy A20 デバイスで、あなたの Google アカウントへの新しいログインが検出されました。ご自身によるものであれば、何もする必要はありません。ログインに心当たりがない場合は、アカウントを保護していただけるようサポートします」とあった。強引なマイクロソフト営業に抵抗を感じながらもしばらくは軍門に下るしかない。(2023・7・21 山崎義雄)

ババン時評 「話し方」と「聞き方」の力関係

日韓首脳会談などで評価を挙げた岸田首相だったが、通常国会が終わってみれば、拙速なLGBT法の成立などで評判が芳しくない。2021年秋の総裁就任当時は「聞く力」をアピールして、聞いたことは何でも記録していると愛用の手帳をかざしたりする姿をテレビで拝見したが、近ごろはとみに「聞く力」が衰えたようだ。閣僚や側近の不祥事やら舌禍事件やらに加えて、まったく聞く耳持たないような強気の言動や政局運営が目立つようになった。

先に当欄で「テレビ報道の政治的公平性」を取り上げた(5・12)。そこでは「理屈や言葉に最も鋭敏でなければならないはずの国会議員が、つまらない失言で世の非難を浴びるのはなぜなのだろう」と切り出し、話の接ぎ穂に直近に起きた2つの例を引いた。1つは立憲民主党小西洋之参院議員による、憲法審の毎週開催は「サルのやること」と発言した例と、いま1つは、安倍政権時に総務相だった当時の高市早苗氏の国会答弁が蒸し返された例である。当時の高市氏が国会で答弁した、放送法の「政治的公平」についての新解釈が、総務省幹部の事前レクに基づくものであったことがバレて、今次の国会で追及されながらその事実を否定して「私の答弁が信用できないなら、もう質問しないでください」と答弁してモメた事例である。

小西議員の「サル」発言の真意はいまひとつ分からないが、本気で憲法改正を考えるなら、毎週開くほど新規の勉強ができるはずがない、サルのように何も考えずに惰性で毎週集まってもしょうがない、といったあたりの気持ちで言ったのだろうが、これは集まりの好きなサルが聞いたら怒ること必定のサルに失礼な比喩である。一方、高市議員の、信用できないなら質問するなというのは暴論で、信用できないことを質問をして真偽を確かめるのは議員の務めであり民主主義のイロハではないか。ご両人とも、自らの「話す力」に過信があるが故のフライング的発言であろう。

失業中の石原伸晃氏が、関係者の意向を無視していきなり次の衆院選は出馬せず、その次の参院選に東京から立候補すると公表して関係筋の総スカンを食っている。政治家の舌禍事件の断トツ1位は森喜朗氏だが、石原伸晃氏の父君・石原慎太郎氏も相当なものだった。森氏は内々の会合などで参加者へのサービス精神で面白いことを言おうとする傾向が強いが、石原慎太郎氏は一般社会に向けて公言することが多い。慎太郎氏の問題発言は波及効果まで想定した確信犯的失言・高言で、マスコミ受けはしたが森発言より罪は重いというべきところがある。

石原伸晃氏の参院出馬宣言も公言・高言の効果を狙った父親譲りのDNAがなせるワザかもしれないが、こういうはったりをかますような発言は、政治家としての誠実さと慎重さの欠落を疑われ、世を惑わして本人にとっても選挙民にとっても問題があるのではないか。―要するに、「話し方」と「聞き方」の力関係はバランスの取れたものでなければならないということをもう少し書きたかったのだが、話の途中で指数が尽きた。いずれ続きを書きたい。(2023・7・8 山崎義雄)