ババン時評 人それぞれ「人生の主役」たれ

 「どんな極悪非道の悪人も平気で演じられる役者は、人間として信じられない」と真顔で言って笑わせてくれた知人のご婦人がいる。笑った当方も遠い昔の子供の頃は、銀幕で悪役を演じる映画俳優は、本当に悪い人間だと思っていたものだ。しかし今でも「はまり役」と言える役柄を真に迫って演じる役者を観ると、この役者は多少なりともそういう資質をもともと持ち合わせているのではないかと思うことがある。

悪役でなくても、渥美清の演じる寅さんは、渥美清の中に住んでいると思うことがある。そうでなければ演技にウソ臭さがにじみ出ることにもなるだろう。山田洋二監督は、渥美清の中に住んでいる寅さんを発見したのではないか。そして渥美清は、山田監督と庶民の抱く「寅さん像」を損なわないように禁欲的に生きた。同時に、そういう寅さん的人生をムリなく生きられたところに、渥美清の人生が嘘の人生でなかったこと、外連味と生真面目さを併せ持つ渥美清の資質があったのではないか。

ただし役者を育てる人間は役者の資質を見抜くが役者が成長し変貌していくことも確かだろう。読売新聞の週刊エンタメ欄(7・29)に、劇団四季の舞台で50年前に同時デビューしたという「共に名優で、盟友。市村正親(74)と鹿賀丈史(72)」の対談記事が載った。四季時代に市村は(代表の)浅利慶太さんから「お前はクレソンみたいだね」と言われたことがあるという。クレソンとは、「調べたら添え物の野菜だった」と笑う。鹿賀は浅利さんから「主役はチョロチョロ動くな。真ん中でドーンとしていろ」と言われたという。

ミュージカルはあまり見ないが、鹿賀が挙げている代表作の1つで、だいぶ以前に帝劇で見た「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンを演じた鹿賀の存在感と歌唱力は圧倒的だった記憶がある。市村は「丈史がステーキで俺はクレソンか―。ミニステーキぐらいにはなってやる」と心に誓い、鹿賀が79年、市村が90年に四季退団後も2人はともに切磋琢磨し共演もしてきた。今回、ミュージカル「生きる」では、18年、20年に続いて3回目の主演ダブルキャストを務めるという。

市村は、胃がんで死んでいく「生きる」の主人公を、初演の時は自らの初期の胃癌を押して演じたがその後癌は克服したという。初演のとき志村けんさん(20年死去)が見にきてくれていて、楽屋まで来てくれて、市村さんいわく「天下のコメディアンが涙を流しながら、これが本当のミュージカルだと言ってくれた」と言う。良い意味で役者も成長し化けるのであろう。

役者さんには失礼だが、俗に「瘡っ気と芝居っ気のない人間はいない」とも言われる。「カサっけと芝居っけ」-、カサ蓋を作ったことのない人間はいないだろう。自分はああなりたいこうなりたいと空想したり、そう振る舞ってみたりする「芝居っ気」のない人間もいないだろう。「気(き、け)」とは何かとなると難しいが、簡単に言えば、心の動きや身の回りに漂う気配のようなものであろう。人は皆、それぞれが人生の主役である。役者のような演技力を身につけるべきだとまでは思わないが、ウソのない「芝居っ気」を身に着けて楽しく生きられたら幸せではないだろうか。(2023・8・1 山崎義雄)