ババン時評 コロナ後遺症は「人嫌い」

コロナ後を想定して、当然のように「新しい生活様式」とやらが“合唱”されている。しかしその中身がよく分からない。どうやらそれは「人との距離を置く生活」らしいが、これではまるで円満な人間関係を否定し、円滑なコミュニケーションを否定するようなものではないか。「新しい生活様式」は、人とのつながりを希薄化しろと勧めているようだ。

例えば、人との距離は1~2メートル開ける。真正面での会話を避ける。帰省は控えめにする。歌や応援は距離を置いてやる。食事は真正面でなく横並びでとる。会食ではおしゃべりを控える。親族行事の会食を避ける。会議はテレワークやオンラインでやる。これではまるで人嫌いになれと勧めているようなものではないか。

いきなりだが、数年前に類書が書店に山積みになった「江戸しぐさ」ブームがあった。江戸の庶民がさりげなく身に着けていた人間観や人間関係の処世術の背景には、長い歴史の中でそれと自覚されないほどに柔らかく暮らしになじんだ仏教や儒教の教えがあった。

例えば、儒教的ハイレベルの教えとしては、子育て方針で、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文(ふみ)、十五理(ことわり)」などという年齢に応じた育て方があった。さりげないマナーとしては、困っている他人に手を貸す「さしのべしぐさ」や人間関係を和らげる「思いやりしぐさ」「有り難うしぐさ」、忙しくても一言挨拶を交わす「束の間つきあい」、狭い路ですれ違う際の「傘かしげ」「肩引き」「蟹歩き」、人が隣に座ろうとしたら腰を浮かせてこぶし1つ分を譲ってやる「こぶし1つ譲り」などもある。

こうした江戸しぐさに代表される人づきあいが日本人の伝統的な人間関係の基本である。簡単にコロナ後の時代は、“新常識”“新日常”が要求されるというが、人間の常識や日常が簡単に変わるとは思えない。経済や政治のルールが変わろうとも、人間の思考や行動は簡単に変わるものではない。

要するに、「親切、やさしさ、思いやり」などとは真反対の、「 距離を置く、話しかけない、近づかない、手を差し伸べない」ような「新常識、新日常」がまかり通るはずがない。仏教・儒教の原型は中国から教わったとしても、現代中国の性悪コロナがもたらす後遺症が「人嫌い」であっては困る。(2020・6・10 山崎義雄)