ババン時評 “仕事人”菅首相への期待

令和おじさんこと菅義偉氏が首相になった。総理の座を夢見たことのない政治家はいないだろうから菅氏も例外ではないだろう。菅氏の場合は、「令和おじさん」人気が出た時から総理の座を狙ったという説もあるが、実際は、つい数カ月前までそれが正夢になろうとは思ってもみなかったのではないだろうか。だからこの時評では先に、実現したらタナから“ぼた餅総理”だと失礼なことを書いた。

その総理の座が正夢となって、菅氏は田中角栄につながる立志伝中の人となった。一時流布された出自は、秋田の貧しい農家の出で、集団就職で上京し、ダンボール工場などに勤めて学費を貯め、2年後に法政大学夜間部に入り、卒業したといわれた。まさに「青雲の志を抱いて郷関を出(い)ず」である。しかしこれは“文春砲”こと「週刊文春」で否定ないし修正された。

つまり、実家は裕福なイチゴ農家で、父親は地元の名士。姉二人は大学出の教員、菅氏自身は集団就職ではなく、大学は夜学ではなく昼間の法学部、などなどが文春で“修正”された。しかしその後の代議士秘書や市議時代のキャリヤを積んで、いま党内で“苦労人”と言われる存在となった政治家 菅氏の人物・力量が、一国の宰相の座に繋がったことは事実であろう。

古い人間には、菅首相の立志伝に、「男児志を立てて 郷関を出(い)ず 学若(も)し成らずんば 死すとも還(かえ)らじ」という詩句が思い起こされる。あるいは「人生いたるところに青山あり」なども思い浮かぶ。しかしこの2つの詩句は独立して使われることが多いが、もともとは同じ漢詩にある4行詩の中のフレーズだ。少し脱線するが、正しい4行詩はこうなる。

男児志を立てて 環境を出ず 学若し成らずんば 死すとも還らじ 骨を埋(うず)む豈(あに)惟(ただ) 墳墓の地のみならんや 人生到る処に青山あり」。後段の意味は、骨を埋めるところは故郷の墓地だけではない。いたるところに青い山(転じて墓地)がある、という意味になる。

つまり青山は青雲の志に通じる立身出世の舞台だが、同時に骨を埋める地でもあということになる。この詩の作者、明治維新期を生きた村松文三は、伊勢(三重県)の出身で、医学を学び、維新の時は国事に奔走し、のち福岡県令となった。これも菅首相の立志伝と通じるところがある。早や菅政権誕生と同時に政権や政策の先行きについて揣摩臆測が飛ぶが、国民としては、まずは物事を途中で投げ出さない“苦労人”菅首相の今後の仕事ぶりに期待すべきではないか。(2020・9・17 山崎義雄)