ババン時評 慈悲の風よあまねく吹き渡れ

令和5年の年明けにこんな話はどうだろう。落語の「寿限無」は、生まれた息子にとびっきりめでたい名前をつけたいと和尚に相談する。できた名前が、寿限りなしで無限に生きる「寿限無」に始まり〈寿限無寿限無、五劫のすり切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所(中略)長久命の長助〉という長い名前で、その名を呼ぶ日常のやり取りで笑いの騒動を起こす話だ。「寿限無」は文字からも見当がつくが、「五劫(ごこう)のすり切れ」は落語を聞かなければ分からない。

ご恵送いただいた臨済会季刊誌「法光」正月号巻頭に、円覚寺派管長 横田南嶺師の一文「いのちを尊ぶ~かぎりなきもの~」があり、落語「寿限無」の「五劫のすり切れ」について、こんなお話を書かれている。『仏教辞典』でも時の長さはいろいろあるが、「五劫のすり切れ」は「盤石劫(ばんじゃくごう)」という時の単位であり、一辺が一由旬(1ゆじゅん=約7キロメートル)の岩山を天女が下りて百年に一度、薄い布ですり減らし完全になくするのに一劫近くかかる。ここから「五劫のすり切れ」が生まれたと言う。ちなみに仏教の教える一劫(ごう)の長さは43億2千万年とされる。

実際の地球の誕生はおよそ46億年前。期せずして一劫の長さに近い。原始人が出現してから20万年ほど。地球の歴史の末に「今を生きることが、自分が存在することが、どれだけ奇跡に溢れていることか」実感できると言われ、お互いのこの上ない尊い存在、46億年のいのちを頂いているのだという感動があれば、お互いの違いや悩みなどは薄れていくのだと思うと言われる。

同時にご恵送いただいた円覚寺派機関誌「円覚」正月号巻頭にも、横田南嶺管長のお話「慈悲の風を」があり、人は誰しも自分が愛おしいと思っていることを認めたうえで、それと同じように、誰しも自分自身はこのうえなく愛しい存在なのだとして、そのことを思いやって人を傷つけないようにしようというのが、お釈迦様の教える「不害」「不殺生」という仏教の根本精神です、と教える。

また同誌には、仏教研究者 蓮沼直應氏の「鈴木大拙の言葉と生涯(九)」があり、そこで「大拙居士」は、「人間尊重は、実際、人間自重から始まるのです。人は自重するということから、人間尊重になるのです。人間尊敬、人間尊重ということは、なにも、むやみに他を尊重するんじゃなくして、自分がまず自らを重んずるということから進み出さなけりゃならぬと、こういうように自分は考えますね」と言っておられると言う。

地球の歴史は46億年、原始人が出現したのは20万年前、これを1年に換算すると人間が誕生したのは12月31日だという。そして自分は「奇跡にあふれた」命を授かっているのだ。そこで横田南嶺師は、その奇跡に感謝し自他の関係を認識したうえで、「閉塞感の強かったこの3年間でしたが、これから慈悲の風を吹き起こしたいものだ」と考え、一文を「慈悲の風があまねく吹き渡る世の中になるよう願ってやみません」と結んでおられる。凡俗の当方としても、平成5年がそのような年になることを願わずにはいられない。(2023・1・3 山崎義雄)