ババン時評 コスパ良く感動したい

 

 

コスパ良く感動したい」という記事を読んだ。要するに、若者中心で流行っている、短い小説で効率よく手っ取り早く感動したいという話だ。実に安直でお手軽な感動で、“かた言ツイッター”に熱中する若者文化の“あだ花”と言っては失礼か。

朝日新聞(1月7日)のその記事は、河出書房新社と小説投稿サイト・エプリスタが立ち上げた青少年向け短編小説集シリーズの話である。内容は「5分後に感動のラスト」を迎える作品を応募で選んだものだという。たしかに日本には俳句という17文字の文学もある。しかし起承転結のストーリーを5分間の小説?に盛り込むのはやはり内容が安直にならざるを得ないだろう。

また、「5分小説」の重要なキーワードが、「涙」「切ない」だというのも笑わせる。まるで演歌のセリフではないか。演歌でも長めのものは一曲で5分ほどかかるが、「5分小説」では、大方の演歌と同様に、安直な涙、底の浅い切なさにならざるを得ないだろう。

と言いながらまた逆のことを言うようだが、演歌でも、例えば古い歌で、藤田まさと作詞「鴛鴦(おしどり)道中」の一節に、「染まぬはなしに 故郷を飛んで 娘盛りを 茶屋暮らし」という一節がある。友人T氏の言葉を借りると、これは、「親に強いられた縁談話がイヤで泣く泣く家出をしたものの、浮世の風は冷たく、あたら娘盛りの身で、茶屋働きの茶屋暮らしにまで落ちてしまった、という人生ストーリーを見事に描写している」ということになる。ちなみにその後の歌詞は、「茶碗酒なら 負けないけれど 人情からめば もろくなる」と、茶わん酒には強いが人情にはめっぽうモロい“いい女”が描かれる。

ということで、演歌の一節でも良いものは良い。また、必ずしも起承転結のある小説ではなくても、感動そのものを一篇に切り取ったような話に、ひところ世の中を感動させた、暮れの宵に貧しい母子3人が分け合って食べる「一杯のかけそば」の話などもある。

「小説投稿サイト・エプリスタ」は会員150万人とかで、作家志望の若者も多いらしい。(昔の)小説を“崇敬”する当方としては、昔の作家志望者は同人誌などでウデを磨いたものだが―などと考えたりして「5分間の小説」には違和感をもつのだが、ネット時代の若者文化の流れは傍観するしかないのかも―。(2019・1・14 山崎義雄 )