ババン時評 敗戦75年、漂うキナ臭さ

敗戦75年目の夏である。敗戦翌年の東京裁判は、「平和への罪」という新たなルールを適用しての勝者による裁きの正統性が、いまだに歴史的な疑問として残る。それにもまして東京裁判を通じて明らかにされたのは、勝者の側も敗者の側も含めて歴史的に過ちを繰り返す人間の愚かさである。

広く知られる一枚の写真、原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」は、永遠に原爆の悲惨さと戦争の理不尽を証明し、人々の心に訴え続ける。撮影した米国の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏(故人)のカメラ目線は、軍人としての冷徹な被写体追求からたちまち人間目線の被写体へと移行する。そして、焼き場に立つ少年に心の目が向いていく。

NHKテレビが『被爆75年、「焼き場に立つ」少年を探して』、弟の遺体と少年原爆孤児の行方を追う特集番組を放映した。たすき掛けの帯で背負われた弟の遺体はがっくりと首をのけぞらせている。背負った少年は、涙目を見開き、口をへの字に結び、直立不動の姿勢で立つ。直立不動とはいえ重い遺体を背負った少年はやや前傾姿勢である。それを支える幼い脛と裸足が痛ましい。

オダネル氏は少年を凝視する。順番がきて焼き場の係が遺体を少年から受け取り、燃え盛る炎の中に投げ入れる。不動の姿勢で少年は業火を見つめ続ける。やがてあきらめ、焼き場を後に、正しい歩調でいずこかへと立ち去っていく。氏は原爆がアメリカ人の命も日本人の命も救ったなどという理屈を強く否定し、原爆は許されざる人殺しだと日記に残す。

沖縄の戦場には、戦火に震える少女、白旗を掲げる少女の映像もある。この少年・少女たちは、どこかの国が乱造する恨みの像とは比べようもなく、戦争の残虐性を象徴的に永遠に訴え続ける。そしてこの子らは、戦勝国の従軍カメラマンによって記録された歴史の証人である。

戦勝国に正義があるわけではない。戦争は人間の愚かさが引き起こす。イギリスのチャーチルアメリカのルーズベルトの信じがたい戦争好きや策略に関する裏面史は少なくない。原爆を使いたくてしょうがなかったのがルーズベルトの後を継いだトルーマンである。ニュルンベルク裁判でナチスドイツを裁いても、東京裁判で“侵略国”日本を裁いても、今また世界にきな臭さが漂い始めている。(2020・8・11 山崎義雄)