ババン時評 天皇に終戦を具申した男

戦後75年の夏、表面的には平和な夏である。しかし75年前、もし広島、長崎への原爆に続く第3の原爆投下を受けるまで、あるいはそれを受けたのちまで、狂気の軍部が一億玉砕の本土決戦をしていたら、さらに数年間、国民は地獄の底を這いまわり、この戦後75年が、戦後72年あるいは70年になっていたかもしれない。

もしそうなっていたら、完膚なきまで叩きのめされた戦後の日本は、人も物も技術も失った荒土の上で、自力で立ち上がる余力を完全に失っていたことだろう。その上、日本本土にまで侵攻したソ連の思惑通り、日本の北半分はソ連のものになっていたに違いない。

この「天皇終戦を具申した男」というとんでもないテーマが頭に浮かんだのは、福井雄三著『開戦と終戦アメリカに発した男』を読んだからである。その男とは同著が「戦時外交官」と呼ぶ加瀬俊一氏である。同書によると終戦の年1945年6月、東郷重徳外相より木戸幸一内大臣宛に外務省からの長文の意見書が手渡された。木戸内大臣宛だが、天皇に読んでもらいたいという東郷外相の意図は明瞭だった。木戸は一読して感銘を受け、ただちに天皇に奏呈した。

本書の著者福井氏は、この意見書の筆者は加瀬俊一だと断言する。明晰で流れるような文体は加瀬俊一以外のなにものでもない。彼は、外務省の重要機密文書のみならず、要人の演説草稿や意見具申書など数多くの執筆・代筆をしてきた。この文書は加瀬が天皇のために書いた、天皇に対する心の底からの呼びかけだったとする。

その意見書の要点は、私なりの粗雑な解釈ではこうなる。①軍は決戦を唱えながらサイパン、レイテ、硫黄島、沖縄と敗退を繰り返している。②これ以上戦争を続けても国土は破壊され国民が傷つくだけだ。③ドイツ敗退の今、日本単独で世界と戦うのは悲惨な結末を迎えることになる。④無条件降伏をしたとしても国体は守れる。⑤早く戦争を終えて国力を温存すれば国家再建が容易になる。⑥終戦は再建への出発点であり、列強の力を交互に利用しながら国権を回復していくべきだ。⑦無条件降伏を覚悟すべきで、皇室の安泰と国体の維持ができれば大成功だ、というもの。

しかし天皇は、東京大空襲以降も、最後に大戦果を挙げて終戦交渉を有利に、という希望、いわゆる一撃講和論を捨ててはいなかったという。その天皇の期待を見事に否定し、本来の英明な資質を目覚めさせたのが、この意見書だったと言えよう。(2,020・8・15 山崎義雄)