ババン時評 夫婦の愛情は以心伝心

これは愛情表現の欠如でもめる友人夫婦の話である。アイラブユーは挨拶代わり、体いっぱいで愛情を表現する欧米と違い、日本人、とりわけ高齢者にはこの手の表現力がない。男と違って女は、いくら歳をとっても、相手の愛情を確かめたい。愛されていたい。安心して夫に寄り添っていたいという、愛情願望、一体願望が強いのだろう。特に友人の細君の場合は、チャーミングな人柄だから、夫に「かまってもらいたい」という甘えもあるに違いない。

しかし、友人である夫の方は、酒とカラオケが大好きな一方、理屈屋で頑固で、サラリーマン時代も「歯の浮くような世辞は死んでも言わない」主義で生きてきた男である。だから彼に言わせれば、若い時ならまだしも、後期高齢者になって「好き」だの「愛してる」だの、それに類した恥ずべき言葉を口になどできようか、「夫婦の愛情は以心伝心だ」と言うことになる。

だから彼は、細君に「私を愛しているの」と聞かれる度に、「バカなことを聞くな。自分が愛されているかいないか自分で考えろ。相手の愛情を信じられるかどうかは相手に聞くことではない」とニベもなく甘えた要求を拒否するのだという。そんな争いで2人が数日口を利かなくなることがよくあるという。これは仲のいい証拠だとも思えるが、細君はそうは思わないらしい。

一度は、そんな口論がオーバーヒートして、細君が過去の不平不満まで持ち出して「もう一緒に暮らしていけない」と言い出し、本気の別れ話になった。彼は、「分かった。オレは墓まで一緒と信じて生きてきた。離婚は人生終盤の大しくじりになるが、お前がそう決心したのなら、それでいい。オレがこの家を出ていく」と応じたという。

数時間後、パソコンをにらんで、適当な賃貸マンションを探し続けていた彼に、細君が「一緒にいたい」と、か細い声で告げたという。それで彼も怒りをしずめ、その場はなんとか収まった。別れ話は収まったが、その日からしばらくは、調べ物でネットを検索するたびに、あちこち探索した賃貸マンションの広告がわんさと張り付いてきてまいったという。

私は、「高齢の夫婦には多かれ少なかれ似たような悩みがあるよなー」と同情し、「だけど少しは相手を労わる表現を工夫しなくちゃー」と忠告した。それに答えて彼は、食事の後かたずけ、ご飯炊き、掃除などの手伝いをよくやっている、いつも料理の腕をほめているよと言う。そして、口には出さないが、あちこちが痛いという妻の躰をマッサージしながら、この年老いた妻の躰が死を迎えて自分の手の中から消えてしまったらどれだけ寂しいかといつも思うと言う。

「家事手伝いは当たり前だよ」と応じた私だが、妻の躰の喪失感を思う話には「ウン、分かるよ」と素直に応じるしかなかった。それにしても愛情表現に不器用な古い人間には、以心伝心も夫唱婦随も遠い昔で、住みにくい世の中になったものである。(2021・6・8 山崎義雄)