ババン時評 同性婚も自由・平等の権利か

先に「LGBT法よどこへ行く」を書いたばかりだが、LGBT法の先には当然のように同性婚の合法化がある。同性カップル3組6人が、同性同士の結婚を認めない今の民法と戸籍法の規定は憲法違反だとして国に損害賠償を求めた福岡地裁への訴訟で、原告主張のとおり憲法違反であるとする判決が出た。しかし損害賠償請求は棄却した。原告側はこの一審判決を不服として6月19日、福岡高裁に控訴した。

同じく同性婚で愛知県内の30歳代の男性カップルが国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、名古屋地裁は「同性カップルの関係を国が公的に証明し、保護する枠組みすら与えていないのは憲法に反する」と述べ、違憲判断を示した(5・30)。しかし、枠組みの必要性が認識されたのは比較的最近であり、国が立法措置を怠ったとは言えないとして損害賠償は棄却した。

同性婚訴訟は全国5地裁で起きている。2021年3月の札幌地裁判決は、結婚で生じる法的利益を同性カップルが受けられないのは差別に当たり「違憲」とした。昨年6月の大阪地裁判決は同性と異性のカップルが享受する利益の差異が解消されつつあるとの認識を示し「合憲」と判断。同年11月の東京地裁判決は、婚姻に類似する制度がない現状を「違憲状態」とした。

違憲判決について棚村政行・早稲田大教授(家族法)は、誰に対しても結婚の自由を認める「婚姻平等」に大きく道を開く司法判断だ。国民意識の広がりを重く受け止め、放置できないという裁判所の決意の表れで、国会が真剣に取り組むようにメッセージを投げかけている、としている(読売5・31)。しかしこの見解には疑問がある。棚村教授の言う「誰に対しても」及び「婚姻平等」は拡大解釈である。これは、婚姻を妨げる問題を抱える異性間における「誰に対しても」であり、異性間においてどのような場合も婚姻を妨げられることのない「婚姻平等」であり、同性婚を前提とした拡大解釈による主張は間違いだろう。

一方、百地章国士舘大客員教授憲法)は、憲法24条2項(婚姻や家族などの事項に関しては、法律は個人の尊厳と両性の平等に立脚して制定する)は、1項(婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する)が前提とする異性間の婚姻に関連して法律を定めるように求めており、14条(国民は法の下に平等であり、信条や性別で差別されない)も合理的区別は認めている。同性カップルの制度を定めるかは憲法判断ではなく政策課題だ、としている(読売5・31)。

確かに違憲判決には疑問があり、憲法解釈を変える必要はないのではないか。同性婚が通常の異性婚と同様の「自由・平等」の権利を主張するのは常識的に考えてもムリがあり、同性カップルが人間として不当な不利益を被ることのない社会的制度を考えるのは百地教授の言う通り憲法判断ではなく政策課題だろう。(2023・6・27 山崎義雄)