ババン時評 自殺の連鎖とマスコミの責任

先に本欄で『ババン時評 狂気の「道連れ自殺」志願』を書いた。昨今の、自分一人では死にきれない若者が人を巻き添えにして死のうとする事件の幼稚さと狂気について、そしてマスコミの報道姿勢について書いた。これはその続きのような話である。

その折に少し触れたが、厚労省の2021年版「自殺対策白書」によると、20年の自殺者数が全国で約2万1000人と11年ぶりに増加した。しかしそれは女性の自殺の2年ぶり増によるもので男性は11年連続減となっている。とりわけ職についていた女性のうち、飲食・サービス業などでの非正規労働に携わる若い女性の自殺が増えている。コロナによる雇用環境の悪化が弱者を襲う。

コロナで精神的・身体的ストレスが嵩じれば、落ち込むだけでなく暴力的な発散もする。新型コロナウイルスの蔓延でストレスが嵩じ、2020年度の家庭内における虐待件数は、06年度に統計を取り始めてから最高の1万7000件超となった。ここでも女性の方が犠牲になる。

経済協力開発機構OECD)の調査によると、新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本国内でうつ病うつ状態になった人の割合が2倍以上に増加した。特に、若い世代や失業者、経済的に不安定な人の間で深刻化していると指摘する。

東京大学大学院のWeb調査などでも、コロナウイルス感染症パンデミック下で、特に若い女性、若年者、高学歴の人などの間で明らかに「希死念慮」の高まりが見られるとして、それらが該当する人に対する支援が必要とされると結論付けている。

令和2年の下半期、2人の有名俳優の自殺及び自殺報道について分析したところ、男女ともに報道後2週間で自殺者数が大きく増加した。男性俳優(三浦春馬さん?)の場合は229人(14.6%)、女性俳優(?)の場合は366人(23.4%)増加した。報道との関係は明らかであり、興味本位や死者への同情・礼賛の報道姿勢がなかったか疑われる。

世界保健機構(WHO)による「自殺報道ガイドライン」は、厚労省も広く奨めているが、その中で報道機関が「やるべきこと」6項目の中に「どこに支援を求めるかについて正しい情報を提供すること」「有名人の自殺を報道する際には、特に注意すること」がある。逆に「やってはいけないこと」6項目の中には「センセーショナルな見出しを使わないこと」「過度に繰り返さないこと」がある。

まさにその、やってはいけないセンセーショナルな報道の繰り返しをやるマスコミ、特に週刊誌やスポーツ新聞、そしてネット報道があり、それに一般人のSNSが加担しているのではないか。この状況に歯止めを掛けなければ、若者の「道連れ自殺」も「後追い自殺」も歯止めがかからず、自殺の連鎖を断ち切ることはできないだろう。(2022・2・18 山崎義雄)

ババン時評 見当違い韓国の佐渡金山批判

イチャモン韓国が今度は佐渡金山の世界遺産申請に文句をつけてきた。日本政府による佐渡金山の世界遺産登録の推薦に対して、韓国は、佐渡金山は戦時中の「韓国人の強制労働の被害現場」だからダメだとして登録推薦の撤回を求めている。見当違いも甚だしい文句付けだ。

韓国の批判に対して弱腰をみせていた文科省自民党保守派の巻き返しで推薦に踏み切った。それまで、世界遺産登録には国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で21カ国の3分の2以上の同意が必要で実際には全会一致が求められることから、韓国が反対では登録はできないだろうと弱気になっていたようだ。

しかし、もともと文化庁は、「文化遺産としての価値は江戸時代の佐渡金山」だとして、明治以降の韓国人強制労働の現場だとして反対するのは筋が違うと主張してきた。文化審議会が昨年末政府に答申したのも、16~19世紀における世界の鉱山では機械化が進んでいたが、佐渡金山では人手による独自の生産方式で世界最大の金の生産地となっていたことを評価したものだという。

ユネスコは昨年、日本の主導で「世界の記憶」登録について、関係国の同意がなければ登録しないという制度の取り決めがなされた。韓国はこの取り決めを佐渡金山にも援用することを主張しているらしいが、関係国の同意がなければ「世界の記憶」にふさわしくないのは当たり前で、一国独自の文化遺産を「世界遺産登録」することとは全く異なる制度のルールである。

その上で、韓国出身者が佐渡金山の鉱夫として働くに至った経緯、日本鉱山企業の募集や朝鮮総督府の徴用に応じて日本に渡った経緯、佐渡金山での労働時間、賃金、その他の労働条件において、日本の鉱夫の場合などと比較でどれだけ過酷な差別を受けたかを立証すべきだ。賃金も当時の日本と韓国との実質賃金を比較するとか、月々の稼ぎから朝鮮の親元に送金していた実態なども検証すべきだ。

日本には国や鉱山会社の実績資料や研究資料がふんだんにあり、韓国にもそれなりの資料があると思われ、韓国学者の研究もあるようだから、韓国は韓国独自の主張を堂々と展開し、日本における強制労働の実態を告発すればいい。ただしそれはあくまでも強制労働の実態に関する立証であり、時代も目的もまるで関係のない佐渡金山の世界遺産登録とは無縁の検証である。

佐渡金山の登録は、来年のユネスコ委員会で審査され採決されるというが、韓国による見当はずれのイチャモン主張に対して、佐渡金山批判も強制労働主張もいかに不当なものであるかということを国際社会に向けてはっきりと主張し、正しい理解を得るキャンペーンを張るべきだ。(2022・2・12 山崎義雄)

ババン時評 狂気の「道連れ自殺」志願

友人が、ネット・エッセイで昨今の事件に見る「甘ったれ屋」を嘆いている。大阪で病院に放火して大勢を焼死させた男、東京の電車内で放火し乗客を刺傷したた男、東大前で3人を刃物で刺した高校生など、いずれも人を多数殺せば自分も死刑になる、死ねると思ったと犯行の動機を述べる。こうした自分自身で命を断つ勇気のない(あるいは目立ちたがり屋の)幼稚と狂気を嘆くのである。

そういう輩とは無縁の動機で自らの人生の幕を閉じる自殺者もコロナ下で増えている。厚労省の2021年版「自殺対策白書」によると、20年の自殺者数は全国で約2万1000人となった。増加は11年ぶりで、男性は減少したものの女性の自殺が増加した。とりわけ職についていた女性のうち、飲食・サービス業などでの非正規労働者が多く、コロナによる雇用環境の悪化が自殺の要因とみられる。

一般に自殺の背景には、精神的な要因と共に、社会的な要因である経済的な困窮、生活上の過労、いじめや孤立などさまざまな要因がある。その結果、死を選ぶところまで心理的に追い詰められて、自殺以外の選択肢が考えられない状態に追い込まれてしまうことが知られている。

したがってそうした自殺者は一途に、そして孤独に自殺の実行に向かう。ところが「道連れ自殺」を狙う「犯人」は、方法の計画や凶器など手段の準備に時間と労力と費用を掛ける。そこが許しがたい。要するに大半の自殺者は、それ以外の選択肢を失って自殺に向かうが、道連れ自殺志願者は、まず犯行を計画する。自殺(志願)者である前に犯罪者である。

そこで先の友人は、そうした愚かにして極悪非道なる殺人者に対して、「人を巻き添えにしないで自殺しろ」「自分の身は自分で始末しろ」と叱るマスコミや警察官がいないのはどういうことかと怒る。たしかに、人に「死ね」と言うのはそのこと自体が最悪ではあるが、今は、マスコミや警察や、学校や教育委員会などまで厳しい叱責や処分を科すことに及び腰だ。

ある研究によれば、報道機関の自殺の報じ方が変化したことで、特定の手段での自殺が減少した事実があるという。このことは逆に言えば、目下の他人を巻き込んでの自殺願望もマスコミやネットによる過剰な報道が招いた模倣犯的な事件の連鎖を生んだ可能性があることになる。となるとマスメディアは犯人を叱る前に、興味本位の過激な報道こそ慎むべきだろう。

なにはともあれ「道連れ自殺」の幼稚と狂気は許しがたい。自殺の形には昔ながらの方法から現代的な方法までいろいろあるが、他人を巻き込んでの「道連れ自殺」は、もっとも反社会的で反道徳的だ。そして、けっして世間の同情を買うことのない、もっとも哀れで情けない死に方だ。そのことを国もマスメディアも徹底して説き、とりわけ若者層に周知させるべきだ。(2022・2・6 山崎義雄)

ババン時評 チラシにみる共産党の安保観

新聞の折り込み広告の中に、「日本共産党 渋谷区議団ニュース 2022年 新年号」が入っていた。そこにはこんな文言が躍っている。「改憲・大軍拡・敵基地攻撃能力にNO! 9条生かして対話による平和を 日本維新の会改憲国民投票を主張している」

さらに「岸田政権の危険な動き」について、「9条に自衛隊を書き込む 日本が攻撃を受けなくてもアメリカと共に戦うことが可能に」「GDP比2%への大軍拡すすめる 今年度補正予算で史上初の軍事費6兆円突破」「敵基地攻撃能力の保有を検討 専守防衛を捨て違憲の先制攻撃を可能に」

こうした文言がチラシ広告的に踊っており、日本共産党の主張が要領よく?刺激的にまとめられているので引用してみた。しかし正直なところ、共産党の言い分は現実離れしている。渋谷区民ではないが、都民の1人として、チラシに掲げる諸問題に次のような素朴な疑問を呈してみたい。

チラシの内容をまとめると、①改憲・護憲の問題(9条生かして対話による平和を、など)、②軍事費拡大の問題(GDP比2%への大軍拡、など)、③敵基地攻撃能力の問題(専守防衛を捨て違憲の先制攻撃、など)、④日米安保法の問題(アメリカと共に戦うことが可能に)などとなる。

まず①「改憲・護憲の問題」では、▽国の守りが無くていいのか。▽自衛隊が「戦力ではなく実力」という解釈が憲法違反だというなら、護憲では済まず改憲論が出てくるのは当然ではないか。▽護憲の「不戦」を世界に約束して、理不尽な戦争を仕掛けられても抵抗しませんということでいいのか。

②軍事費拡大の問題では、▽日本の防衛予算は米露中印に次いで先進国中の5位だが、世界第3位の経済大国日本が5位の軍事予算を持つのは「超軍拡」か。▽中国や北朝鮮の脅威に対して防衛力抜きの「対話による平和」、中国を含めての対話による平和の実現が可能なのか。

③敵基地攻撃能力の問題では、▽「専守防衛を捨て違憲の先制攻撃」はNOというが、ミサイル・電磁波など開発の進む攻撃兵器に対応する新たな「専守防衛」が必要ではないのか。▽中国や北朝鮮から2分程度で飛来する防御不能極超音速ミサイルを、まともに受けることでいいのか。

日米安保法の問題では、▽日本だけの力で国を守れるのか。▽日米安保がなくて国を守れるのか。▽限定的に「日本が攻撃を受けなくてもアメリカと共に戦うことが可能に」なったのは日米安保関連法によるが、応分の防衛能力で相互協力をするのは当然ではないのか。

以上がチラシに対する疑問だ。北朝鮮が最新ミサイルをおもちゃのように打ち上げ、中国の台湾進攻や尖閣への恐れも強まっている。これを平和的な外交努力で解決できるのか。こんな現実離れ、浮世離れした教条主義的な主張が通用するとは思えないのだが―。(2022・2・1 山崎義雄)

ババン時評 中国で真実は「もう言えん」

先ごろ、NHKテレビの「マイケル・サンデルの白熱教室」で、日米中の若者のうち、中国のエリート青年が、中国の国民は自由主義の国と違って国を信頼している。政府の決定も早いし成果もすぐ出ると熱弁を振るっていた。おそらくこの中国青年には、国を代表して発言しているという意識があり、自分の後ろに習近平共産党の目があることも意識しているのだろう。

日本財団による若者の意識調査でも明らかなように、なぜか中国の若者の国家に対する信頼感はアジアや欧米先進国に比べても断トツに高い。逆に日本は最下位だ。そして自国が「さらに良くなる」と信じる中国の若者は世界のトップで、最下位は日本だ。注目すべきは、自国の望ましい将来像の選択肢から「平和な国」をトップに挙げるのは日本の若者で、中国では最下位に挙げる。

その中国の若者が信頼する決定の速い習近平政権が今、経済や社会のあらゆる分野で指導・規制を強めている。いま自由主義諸国が本気で頭を痛めはじめた巨大化するIT資本の規制でも、習政権はすでにアリババ規制のように容赦のない情報技術(IT)企業への規制を行っている。そして規制の対象分野は、いよいよ全体主義とは無縁の本来自由であるべき芸術分野にまで広がっている。

国家主席は、昨年暮れに開かれた中国文学芸術界連合会と中国作家協会の大会に出席して、「文芸従事者は文化的自覚を高め、文化的自信を揺るぎないものにし、強い歴史主導精神を持ち、社会主義文化強国の建設に積極的に身を投じ、人民と社会主義に奉仕するという方向性を堅持」すべきだと談話を発表した、と人民網日本語版が伝えている。

こうして習政権は今、芸術は党への忠誠心に基づくべきであるとして指導を強めており、統制は文学界にまで及んでいる。典型例は、中国でただ一人ノーベル賞を2012年に受賞した作家・莫言(モー・イエン、66)氏が標的にされている。ネット社会では、莫氏を中国の恥部を描く売国奴などと非難する声が強まり、中国作家協会副主席を務める莫氏に対して文学界までよそよそしくなっている。

その端的な例が、昨年6月に、共産党創建100年に合わせて、中国作家協会幹部が発表した、過去100年の中国文学者と文学の論稿に、莫氏に対する言及が一言もなかったことで、莫氏は文学者として「黙殺された」と世界の話題になった。習政権は文学にまで国や政治への礼賛を強要するのだ。ブラックユーモアになるが、莫言氏は、中国で真実は「もう言えん」と沈黙するのだろうか。

上述の、中国の若者の高揚感のある全体主義的な意識の生成には、習政権による指導、教育、洗脳の効果があろう。日本の若者には平和惚けした無関心や「おっとり感」がある。しかし中国の若者にも虚無的な「寝そべり族」のまん延がある。「経済格差」のみならず、芸術・文学統制まで強めて全体主義虚無主義の「精神格差」を広げる中国はどこに向かうのか。(2022・1・24 山崎義雄)

ババン時評 コロナ下で平常心を保つ工夫

新型コロナウイルスの拡大下で、うつ病や自殺が確実に増えている。ゆううつな気分に襲われることは誰にでもあるが、コロナ禍の閉塞状況ではいっそう、ゆううつ感が助長される。それが進行すれば「うつ病」になり、うつ病が嵩じれば、「自殺」という最悪の手段を選ぶことにもなる。

うつ病は、精神的ストレスや身体的ストレスなどを背景に、脳がうまく働かなくなっている状態」だと厚労省の説明にある。一日中気分が落ち込み、何も楽しくないといった「精神症状」から、不眠、食欲不振、疲労感などの「身体症状」に進み、日常生活に支障が生じて「うつ病」となる。

そこで考えられるのは、「うつ病」で「脳がうまく働かなくなる」以前のメンタルケアが必要だということだ。たまたま、コロナ禍の状況にあって「すべては変化する中、心を正しく調えよう」と説く、臨済宗円覚寺派の管長 横田南嶺師の論稿を同派の小冊子で目にした(『円覚』(令和4年正月号)。ここで横田氏は、白隠禅師の体験を紹介する。

白隠禅師は、仏の教える「日常の活動を離れて静かなところで坐ってばかりいた」と述懐。しかしその結果、「日常のちょっとしたことにも胸が塞がり心火が燃え上がる始末で、日常生活の中での工夫は少しもできず、何をしていても驚いたり悲しんだり、心も体も常に怯弱で両脇にはいつも汗をかき、目にはいつも涙を浮かべ、修行によって力を得るなどということは、まったくなかった」。

そういう反省を経て白隠禅師は、「何をするにしても、常に心気を下腹部(臍輪気海丹田=せいりんきかいたんでん)に充実させること」、「どんな時も、常にたゆまずこれを続け、一身の元気をおのずと丹田に充実させること」、「仕事の合間、客人と対応する時も、日常生活のどんな時も、常にたゆまずこれを続けるならば、一身の元気は自ずと丹田に充実」するのだと説くに至る。

白隠禅師はまさにうつ症状を体験したのだが、精気の丹田充実でそこから見事に脱出することができた。臍下丹田(せいかたんでん)とは、特別の臓器を指すのではなく、へそ下3寸(約9センチ)辺りで、精気の集まるところとされ、丹田に力を込めろとは昔からよく言われてきたことだ。

凡俗の私も、若いころからそれを心掛けてきた。もちろん白隠禅師の丹田入力や悟りの深みには比べようもない。しかし私は、専門紙誌の記者・編集者として、いわゆる世の中の偉い人にお会いする前や人前で話をする時などに、動悸や恐れを予防するための丹田入力をやってきた。ついでに言えば、偉い人に気おされないために、相手の目ではなく鼻の頭を見て話す工夫も開発した。

新型コロナも、今年はいよいよ第6波が襲ってきそうな状況である。だがコロナ下の抑圧状況やストレスに負けてはならない。どのような世の中の変化があろうとも、変化に翻弄されることのないように、常に自分の心のありように目を向けて、平常心を保つ工夫が大事ではないだろうか。(2022・1・16 山崎義雄)

ババン時評 年金生活者は若者のお荷物か

昨年暮れのあるテレビ座談会で識者?の一人が終わりの一言で、高齢者の医療費負担を上げるのは当然だと言い切った。同様に、今は高齢者の年金削減も当然視されている。医療費の負担増も年金減らしも、あえて言えば、国が老人の懐に手を突っ込むような仕打ちである。

もちろん、このままでは医療費も年金も維持できなくなることは目に見えている。とりわけ今年から高齢化が加速する。団塊の世代が75歳を迎えて後期高齢者の仲間入りをする今後3年ほどの間に、急激に「高齢者の高齢化」が進むことになる。

団塊世代はすでに健康寿命(男性72.14歳、女性74.79歳)を超えているから、さらにこれから病気持ちが増え、医療費が増えることになる。国の社会保障制度だけでなく、高齢者医療費の増大で財政悪化が進む企業の健康保険組合も解散に追い込まれるケースが増えるとみられる。

とは言え、社会保障制度や医療費問題の解決で、改善の目を高齢者の懐に向けるという短絡的な国の所業は本当に当然なのだろうか。かつて「100年安心の社会保障制度」を掲げていた国が、対処療法的で緊急避難的な高齢者の負担増という手段を取ることが許されていいのか。

もう一つ、社会保障制度改革で大きな疑問は、年金老人を現役世代が支えるという解釈がいつの間にか国民の常識となっていることだ。その支え手がどんどん減ってきて今や1人が1人を支える「肩車型」になりつつあるという危機的な状況説明が今や当たり前になっている。

だが、そもそも年金世代の高齢者は、戦後の、子が親の面倒を見る時代が去って、自力で老後を生きる覚悟を迫られ、自らの暮らしを保障する国の年金制度を信じて加入し、現役の支援ではなく国の制度を信じて掛け金を積み立ててきたのである。

「肩車型年金論」を国が黙認しては、なんで俺たちが老人の面倒を見るのかとか、年金加入はばかばかしいと言った不心得な若者が出てくる。これでは老若の離間を招き、年金加入者が減少し、将来、無年金者や国の厄介になる者が増える心配がある。

そうならないための年金財源確保には、端的に言えば消費税アップと高所得への増税しかない。国は今、「社会保障と税の一体改革」なども進めているが、乏しい財源の配分を工夫するレベルではなく、消費税アップの具体的な検討と高所得への課税強化を早急に行うべきだ。

さらには、直接的な財源確保にとどまらず、岸田内閣がこれから打ち出す「新しい資本主義」の具体的成長戦略の多くが援用できるはずだ。国は本気で100年安心の社会保障制度を設計し、そこに至る工程を具体的に示して国民の理解と安心を得るべきだ。そして目下の課題は、国の年金失政をあいまいにするような「肩車型年金論」を早急に払拭、消滅させることだ。(2022・1・11 山崎義雄)