ババン時評 AI相手の勝負に魅力はあるか

藤井聡太竜王が、20歳になった今年を竜王戦の初防衛で締めくくった。七番勝負の第6局を勝ち、4勝2敗だったが、2敗に「課題を感じた」と言う。今回も「深く考えた」という粘り強さと、一瞬の好機を見逃さない決断力を藤井竜王は兼ね備えている。趣味はAI囲碁で、よく「待った」をするという話を何かで読んで笑わせられたことがある。

最近、テレビドラマをみて、AI相手の囲碁・将棋に魅力はあるのだろうかと考えさせられた。テレビ朝日の「相棒」シリーズ再放送の一話「棋風」である。まさに人間とAIの対決で、一方の棋士がAIの音声指令に従って指し、人間棋士?に勝つのである。話の主題はAI碁の研究者が殺害される事件であり、その犯人は被害者の弟子であり共同研究者であり、プロ棋士でもある女性だった。しかも彼女は、AI棋士に敗れた人間棋士の元カノである。

事件落着後に、ドラマの主人公 右京さん(水谷豊)がAIに敗れた人間棋士に、局面が展開したあの一手を打たれた時にどう感じたかと聞くと、人間棋士は懐かしい感じがした、と返答をしたのである。彼は、元カノの負ける危険を冒して勝負に出る一手を懐かしんでいたのだ。彼は知らなかったが、まさにこの一手は彼女がAIに替わって指した一手だったのである。

将棋における棋風の場合は、「居飛車党」と「振り飛車党」に大別され、双方を差しこなす棋士を「オールラウンダー」と呼ぶ。例を挙げると谷川浩二は居飛車党で「光速流」「谷川前進流」などと呼ばれる。升田幸三はオールラウンダーで、逆転の独創性に富み「攻めの升田、受けの大山」と称された。大山康晴振り飛車党で、羽生善治は大山の棋風について、大らかに指す棋風と評した。羽生善治はオールラウンダーで終盤での相手を惑わせる妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。藤井竜王居飛車党で終盤における収束力は定評があるとされる。(参考:ウィキペディア

だが将棋棋士勝又清和氏は、文春オンライン(2022・1・22)で、藤井竜王で思い浮かぶのは世界最古の軍法書「孫子の兵法」だという。武田信玄の旗印にも使われた「風林火山」の元になった言葉である。其疾如風(その疾きこと風のごとく)、其徐如林(そのしずかなること林のごとく)、侵掠如火(侵掠すること火のごとく)、不動如山(動かざること山のごとく)、である。一言で言えば、「臨機応変に戦え」。場面によって、風になるべきか山になるべきか判断せよという意味だ。藤井の指し回しはまさに変幻自在だ。

こう見てくると今の藤井は、攻めの強さと守りの強さを兼ね備えた「オールラウンダー」といえるのではないか。対する広瀬八段の勝負師ながら悠揚迫らぬ棋風は「鷹揚流」などと呼ばれる。その広瀬八段は対局後に、「完敗だと思います。対局中の藤井竜王には威厳がありました」とコメントしたという。35歳の広瀬八段が若干二十歳の藤井に威厳を感じたとして潔く兜を脱いだ。このあたりが両者に称賛の声が上がる所以で、AI相手では味わえない人間将棋の醍醐味である。囲碁も将棋も勝ち負けだけでは何の面白みもない。(2022・12・10 山崎義雄)

ババン時評 中国は台湾の前に尖閣を盗る

先に「ババン時評 尖閣を守る戦力の抜本強化」を書いたが、それは、台湾有事はすなわち尖閣有事だからである。『自衛隊幹部が語る台湾有事』(新潮新書)は、元陸上幕僚長・岩田清文 元海上幕僚長・武居智久 ・元空自補給本部長・尾上定正 同志社大学客員教授・兼原信克を著者とする23名の有識者による台湾有事の政策シミュレーションと座談会からなる一書である。

同書が示す4つのシナリオで最も深刻なのが、中国が台湾と同時に尖閣・与那国を占領するというシナリオである。それは、2023年秋頃から中国による台湾侵攻への準備が始まる。24年に入り台湾総統選に絡んで中国の挑発が激しくなる。3月、アメリカは台湾海峡危機を抑制するためにフィリピンと日本に支援を要請する。

日本は国家安全保障会議を開くなど対応があわただしくなる。3月末、中国は台湾海峡バシー海峡、与那国海峡を「軍事的」に封鎖する。中国による台湾への軍事侵攻が実行され、軍事衝突が台湾および日本の南西諸島で繰り広げられる。尖閣諸島与那国島はあっさり占拠され、台湾は抗しきれず中国陸軍部隊の上陸を許してしまう。

米国は台湾関係法に基づいて台湾防衛作戦に乗り出すことを政治決定し、日本政府に在日米軍基地の使用及び米軍部隊に対する後方支援を要請する。日本は最大限の支援を米軍に提供しようと努力する。中国は海上臨時警戒区(戦域)を先島諸島とフィリピン北部を含む広域に拡大し、結果的に尖閣・与那国が中国軍によって占領されてしまう。

 中国による台湾への本格的な着上陸作戦は、日米を巻き込む地域紛争に発展する。航空及び海上の激しい戦闘の結果、日米台は海空戦力に大きな被害を受ける。中国は大きな損失を出しながらも、与那国島尖閣諸島を占拠し、台湾本島の上陸に成功する。台湾本島の戦線は台湾軍の激しい抵抗に会い膠着するが、米軍の米機動部隊増強やサイバー攻撃によって、加我の優劣はしだいに逆転する。

5月、米国は中国本土への通常戦力での攻撃(ミサイル、海空基地)を決定。この段階で中国は、国連安全保障理事会に即時停戦の決議を提案。日本は、与那国島尖閣諸島を占拠されているが、米国政権としては、台湾問題の恒久的な解決が最優先となろう。台湾は解放されても尖閣・与那国は中国による占拠を許したままの停戦となる可能性がある。

第2部 座談会で語られるのは、事態の確認にこだわり対応の遅れにつながる「内閣法制局の呪縛」であり、さらに安保関係閣僚会合における問答と決断の遅さ、米国頼りで日本独自では何もできないという現実である。そして、アメリカに頼り切っていると米中間の停戦協定は尖閣与那国島を取られた状態で国境線が引かれて終わるという事態さえ起り得るということである。先に書いた「ババン時評 尖閣を守る戦力の抜本強化を」急ぐべきである。(2022・11・29 山崎義雄)

ババン時評 尖閣を守る戦力の抜本強化を

わが国の防衛力を5年以内に抜本強化するよう求める政府・有識者会議の報告書が発表された。報告書は、中国や北朝鮮を念頭に、「周辺国等が変則軌道や極超音速ミサイルを配備している」と指摘した上で、わが国が、自衛目的で相手のミサイル発射起点などを破壊する「反撃能力」を持つことは、相手の攻撃に対する「抑止力の維持・向上に不可欠だ」と明記した。

具体的には、国産のスタンド・オフ・ミサイル(相手の射程外からでも打てる射程の長いミサイル)の改良型や外国製のミサイルの購入により、今後5年を念頭にできる限り早期に十分な数量のミサイルを装備すべきだとしている。しかしこの程度の装備を急いでも中国や北朝鮮の野望を打ち砕くことは難しい。現実には、自衛隊員の員数も装備・兵器も弾薬も不足し、サイバー防御も司令塔機能も脆弱だと報告書が指摘している。

先ごろ米国のオースティン国防長官と中国の魏鳳和国防相が、カンボジアで会談(11・22)した折に、台湾問題についてオースティン氏が「一方的な現状変更には反対だ。情勢をさらに不安定化させる行動を取らないよう」にと求めたことに対して、魏氏は、「台湾問題は中米関係において超えてはならないレッドラインだ。わが国には祖国統一を断固として守る自信と能力がある」と答え、重ねて中米関係悪化の「責任は米側にあり、中国側にはない」として米国を非難したと報じられる。

それより前に、駐日米大使ラーム・エマニュエル氏は、ペロシ米下院議長が訪台した折に、中国が意識して日本の排他的経済水域弾道ミサイル5発を撃ち込んだことに対して、「与那国島は、台湾からわずか110㎞しか離れていない。習氏が日本をどう見ているか。彼が発したメッセージを、私が解説するまでもない」と言い、日本への抑止力強化を期待している。

中国の手口は「ウィキペディア」も認めているところである。すなわち、軍事的優位を確立してから軍事力を背景に国境線を画定するという中国の戦略の事例は、中ソ国境紛争などにも見られ、その前段階としての軍事的威圧は、東シナ海および南シナ海で現在も進行中である。2011年現在、中国人民解放軍の空軍力は、日本、韓国、在日在韓米軍を合計したものに匹敵し、インドを含むアジアで最強であり、その急激な近代化がアジアの軍拡を誘発している。このように尖閣問題の顕在化は、中国の軍事力が優位になってきた事がもたらしたものである。

また1968年に地下資源が発見された頃から、中国と台湾は領有権を主張しはじめた。例えば、1970年に刊行された中華人民共和国の社会科地図において南西諸島の部には、"尖閣諸島"と記載され、国境線も尖閣諸島と中国との間に引いてあった。しかし、1971年の版では、尖閣諸島は"釣魚台"と記載され、国境線も日本側に曲げられている。―と明快に断じている。要するに尖閣を守るのも戦力の抜本強化以外にない。今こそ冒頭に述べた、政府・有識者会議の報告書が提言する、わが国の防衛力を5年以内に抜本強化することが急がれよう。(2022・11・23 山崎義雄)

ババン時評 要するに「分かる憲法9条」に

 ようやく衆参院憲法審査会がぼちぼち開かれるようになったが、自由討議とやらで論点の定まらない論議に終始している。亡くなった安倍元首相は、(自衛隊員に対して)「憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれ」とは言えないとして、憲法9条に自衛隊の存在を明記したいという持論を繰り返した。

憲法違反かも知れない」なら、それを論議するのがスジだろう。大方の憲法学者が言うように、自衛隊違憲だというなら「合憲化」するための憲法改正論議をすべきだ。安倍元首相の本心もそこにあったと思うが、そこまで持って行くのは容易ではないと見て、憲法9条2項の付加条項として自衛隊の存在を明確にしたいと考えたのだろう。だが今こそ本当の改憲論議すべき時ではないだろうか。

そもそも「憲法違反かもしれない」という問題の核心は、言うまでもなく、9条2項が掲げる「戦力の不保持」である。しかし、いまわが国は、中国、北朝鮮などがもたらすただならぬ国際緊張の中で新兵器の導入を急いでいる。敵基地の攻撃も可能にするミサイル迎撃システムなどの新兵器も、「自衛のための戦力」だから憲法9条2項にいうところの「戦力」ではないと言うような「解釈改憲」で常識的な国民の納得を得るのは容易ではないだろう。

この苦し紛れの理屈を70年以上も重ねてきたのがわが国の憲法9条である。憲法9条の“病根”は深い。戦後、現憲法の草創に携わった首相吉田茂は、憲法9条の政府案が上程されたばかりの衆議院で、共産党野坂参三議員による自衛のための「正しい戦争」論に対して、「国家正当防衛権」を認めると「戦争を誘発する」から、「正当防衛権」は「有害」であると断言した。その吉田は、間もなくそこから“真逆”の方向、いわゆる「解釈合憲」にシフトしていった。

以来今日まで、実に70年以上も憲法9条解釈は吉田流の“迷走”を繰り返しているのである。いわば憲法9条2項が“病根”であり宿痾(しゅくあ=長年の病気、持病)である。この病根を放っておいて、自衛隊の“健康”に太鼓判を押そうという安倍元首相の条文加憲案が問題なのだ。自衛隊は“健康でない”と国民が審判を下したらどうなるか。安倍氏は国会答弁で、自衛隊明記案がたとえ国民投票で否決されても自衛隊は合憲だという政府の立場は変わらないとも言った。無茶苦茶な言い分ではないか。

安倍氏遺言の“加憲”案では、どこまでも9条2項の「戦力不保持」が問題となり続ける。それを避けるためには、「自衛のための戦力保持」を正当化するという選択肢を挙げてまともに論議すべきではないか。幸いにも?改憲に先行して安倍元首相が遺した安保関連法があり、「反撃能力」が容認される時流になってきている。今こそ本気で国民に分かる「明快な憲法9条」を考える時ではないだろうか。(2022・11・12 山崎義雄)

ババン時評 反撃能力Vs専守防衛の呪縛

いわゆる「反撃能力」は、先制攻撃と誤解される「敵基地攻撃能力」を自民党が無難に言い換えた用語だが、どちらにしても、そもそもは1956年当時の鳩山一郎内閣が「我が国が緊急不正の侵害を受け、攻撃が行われた場合、座して死を待つべしというのが憲法の趣旨とは思えない」としたところから始まっているといわれる。

したがって「反撃能力」は、長いことくすぶり続けている重要な論点だが、そろそろ決着をつけなければならないだろう。たまたまNHK日曜討論(10・16)で、与野党の安全保障政策の担当者が「反撃能力」の保有の是非をめぐって意見を交わした。発言のポイントを拾ってみるとおおよそ次のようなことになる。

賛成派では、①自民党の小野寺元防衛大臣は、「相手の攻撃の仕方が変わっており、それに備えた攻撃能力が必要だ。対話を拒否してミサイルや核で脅してくる国には、反撃能力を持たざるを得ない」としている。②公明党の佐藤外交安全保障調査会長は、「反撃能力を持つにしても専守防衛で必要最小限の措置をいかに確保していくかが問題だ」と反撃能力保持に一定の理解を示している。③維新の会の青柳国際局長は、「反撃能力の保持は抑止力のためで、相手をどう怖がらせられるかが問題だ」と反撃能力の中身を議論する必要性を述べた。

中間派では、④立憲民主党の玄葉元外務大臣は、「相手が攻撃をためらい結果として戦争を止める力になりうる必要最小限の反撃能力は地に足を付けて党内で検討していきたい」と党内論議の必要性を述べた。⑤国民民主党の前原元外務大臣は、「ほかに手段がない場合は敵基地攻撃も認められるというのが議論のベースだ」として敵基地攻撃の論議を認めながらも専守防衛の重視を述べている。

反対派では、⑥共産党の山添政策副委員長は、「外交努力を強めるべきだ。事実上、先制攻撃まで可能にする反撃能力は認められない」と反対の姿勢は明快である。⑦れいわ新選組の櫛渕副幹事長は、「危機回避の努力をせずに議論を進めると専守防衛を脅威対向型の防衛に変更させ形を変えた改憲になる」と反撃能力保持に反対している。

こうしてみると、「反撃能力」保持に前向きなのは与党自民党公明党だけである。長年慎重だった公明党がやや肯定的な姿勢を取りはじめている。維新の会も同調している。中間派の立憲民主は「党内で検討していきたい」と党内をまとめきれず、国民民主は「専守防衛」にしがみつく。反対派の共産は「反撃能力は認められない」と言い、現実世界を見ようとしない。れいわ新選組も同断だ。

敵基地攻撃ならまだしも、基地を離れた移動式ミサイル発射の場合はその緯度・経度を測定・入力して反撃しなければならず、現実には難しいと言われる。そのミサイルをいかに抑止するか。受け身の解釈による「専守防衛」の呪縛から脱して「反撃能力」の構築を考えなければ日本人の生命・財産が危機にさらされる。(2022・11・3 山崎義雄)

ババン時評 「習氏の共産党宣言」第1幕

中国はいよいよ一党独裁ならぬ習近平の個人独裁国家になったようだ。第20回党大会の最終日(10月22日)、マスコミ映像で流された。閉幕式の途中、胡錦涛前総書記が係員に腕をつかまれた状態で会場から出ていく動画だ。習氏の隣に座っていた胡氏が係の者に腕を取られて席を立ち、習氏の後ろを通る時に何かを訴えるように声をかけたが、習氏は無言で冷たい笑みを張り付けたような横顔を少し胡氏のほうに向けただけ。うそ寒さを覚えるシーンだった。

中国はこの胡氏退場を体調不良によるものと説明するが信じがたい。揣摩臆測の飛ぶのは当然で、李克強首相らの「自発的引退」とも合わせて、早くも習近平独裁の粛清劇第1幕となった。元党幹部養成機関の教授で現在米国在住の蔡霞氏は米外交専門誌への寄稿で、かつて盟友と言われた王岐山国家副主席でさえ、習氏との関係が「君主と臣下のようになってしまった」との見方を紹介しているという(読売10・25)。

そして習氏の目指す毛沢東の時代は粛清の時代だった。毛沢東の人民共和国が成立して6年目(1955年)の中央政治局委員は15人だったが、毛の逝去した時(1976年)は失脚や迫害死、死後の追放などで中央政治局委員として毛の時代をまともに生き延びられたのは周恩来ただ1人だという(石川禎浩『中国共産党、その100年』筑摩書房)。

その周も、毛によっていわれなき“いじめ”を受け、たびたび屈辱的な反省・謝罪をさせられた。毛沢東は、「大躍進」の失敗で膨大な餓死者を出し、「文化大革命」でも膨大な死傷者を出した。そうした反省から中国共産党は個人崇拝を排して集団指導体制に移行した。そして鄧小平から胡耀邦江沢民胡錦涛政権が複数リーダーで中国を統治してきた。

鄧小平が示した「韜光養晦」は、時期が来るまで身を低くして相手に警戒心や敵愾心を起こされないようにという外交戦略だが、これで30年以上やってきて、中国は世界第2位の経済大国になり、習近平政権は先祖返りの毛沢東的個人崇拝を目指す指導体制となった。胡錦涛李克強排除は「習氏の共産党宣言」第1幕だ。今や習近平中国は公然と敵対国を威嚇する「戦狼外交」へと本性を現した。そして目障りなものは徹底的に排除する。

習政権にとってはアジアにおいてもっとも目障りなのは日本だ。米国と強固な同盟関係にありアジアの代表ズラをしている日本を排除したい。尖閣を取る前に、尖閣諸島海域への執拗な侵入を繰り返しながら、アジアの経済・外交面で世界やアジアにおける日本の地位や評価をおとしめたい。それをやろうとする可能性は高い。日本としては、政経分離で中国と付き合い、中国と自由社会の媒介役をしたいなどという甘い考えは習氏中国にはもはや通用しない。どう対処するか覚悟が問われよう。(2022・11・28 山崎義雄)

ババン時評 人生とカネの“間合い”

須臾の間の人生行路とはいえ、思えば遠くにきたもンだ。それなりにまじめに長く生きてふと気が付けば、これまで付き合ってきた仲間内に金持ちがいない。無沙汰の知人から「お変わりありませんか」と電話があったから「ハイ貧乏しております」と答えたという友人がいる。とりわけ戦後の貧しい少年時代を共にした仲間で一杯飲むときなどは、昔の貧乏自慢を酒の肴にすることさえある。よく不特定多数で集まる遊びの会を企画したが金持ちぶったヤツを呼んだことはない。

とは言え例外はある。会社経営から大学教授で20億円の資産を作り悠々たる老後を送って逝った仲間がいる。本好きの十数人のサークルで30年以上も付き合った。月例会のあとは居酒屋で一杯やるのが習わしだったが、いつもきっちりと割り勘だった。もし彼が、オレが持つというような人間だったら仲間ではいなかっただろう。彼の妻がチラシを見て少し離れた安いスーパーに自転車で行き、帰りに荷の重さでバランスを崩して転倒してケガをしたと言い、かわいそうだと酒を飲みながら漏らしたことがある。だが最後は、人のため世のためと財団法人○○基金をつくりカネを残して逝ったからただのケチではなかった。

先に『ババン時評 落ちたら最後「我欲の深淵」』(2022・9・15)を書いた。五輪組織委の元理事・高橋治之容疑者の話である。日産の元会長・カルロス・ゴーンや日大の前理事長・田中英寿も引き合いに出した。高橋容疑者の場合は分かっただけでも2億円近い賄賂をポッポに入れ、3度も逮捕を繰り返している。そのうえ新たに高橋の古巣・電通まで五輪の不正疑惑が浮上した。電通は、五輪事業の入札方式をあの手この手で骨抜きにし、ライバル他社を出し抜いて五輪スポンサー選定の権限を独占したという。

電通と言えば7年ほど前に女子新入社員が過労で自殺した事件があった。この事件を機に、ほかの企業の過重労働の実態まで暴かれて大げさに言えば働き過ぎは罪悪だという世論が高まった。しかしそれまで我々の世代は無茶苦茶に働いて経済成長を支えてきた。当然景気が悪くなれば首切りもあり、世に産経残酷、時事地獄などと言われる例もあった。電通OBから同社の過重労働は「士農工商エタ電通」と僭称していたと聞いたことがある。

酒の席で高橋容疑者の話などをつまみに、こういうヤカラはどれだけカネを握れば満足するのか、悪銭にまみれた人生で幸せになれるのかと憤慨すれば、一度悪銭にまみれてみたいと混ぜっ返して笑わせる者もいる。カネと付き合わずには生きられないが、べったりとした付き合いはしない方がいい。ともあれ仲間は皆それぞれの人生でそれなりの収入を得て、それを家やら子どもやらのために費やして、蓄えも薄くなって、それでも居酒屋で一杯飲める。人生とカネの“間合い”は多分その程度でいいのではないだろうか。(2022・10・20 山崎義雄)