ババン時評 日産ゴーン氏の「高転び」

 

俗に「高転びに転ぶ」と言う。日産の前会長ゴーン氏がその例だ。得意の絶頂から見事に?転落した。「高転び」なる言葉は、織田信長を評して安国寺恵瓊が「信長は高転びに転ぶであろう」と予見したというから、古くから言われた由緒正しい?用語である。その高転びの要件とは何か。

安国寺は、天正元年(1573年)の暮れ、何名かの武将に宛てた書状に、信長はいずれ「高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候」としたためたという。日産でも、役員陣や監査役はゴーン氏の不正を事前に知っていたはずだが、「高転び」まで予見していたご仁はいただろうか。

ただし、ゴーン氏は、会長職や代表権は失ったが、取締役としては残留するというから経営上の影響力はあなどれない。しかし人間としての信用力は完全に失墜したというべきだろう。したがって、経営陣に居残っても、マネジメント上のテクニカルな案件以外の、人間的な信頼性に関わる案件では、影響力を及ぼすことはできない、というよりほとんど無力になるのではないか。

ところで、「高転び」の要因は何か。安国寺は傲岸不遜な信長の言動に人間的な危うさを見たのだろう。安国寺の予見通り、信長は本能寺で幕を閉じる見事な高転び人生を演じた。

一般的に考えれば、高転びの3大要因は、「名誉欲」「金銭欲」「独占欲」ではないか。ゴーン氏の場合は言うまでもなく第1が「金銭欲」だった。第2が、カネも地位も権力も、ついでに世界各地の屋敷も欲しがる「独占欲」、第3が、日産とルノーの合併の先のトップまで狙う「名誉欲」ではないか。

ともあれ、一般的に言っても以上の3大要件を満たす努力をすれば、その先に見事な高転びが待っているということになる。(H30年11月24日 山崎義雄)