ババン時評 日産ゴーン氏とガバナンス

どこから日本企業の経営姿勢がおかしくなったのか。日産自ではゴーン前会長の独裁と“所得隠し”が世界の注目を浴びている。関連の三菱自動車も含め、多くの企業で製品検査データの改ざんなどの不祥事が続く。問題はガバナンスの欠陥だろうか。

要するに、企業内で起きる不正や不祥事が多発するのは、それを防ぐための内部統制の仕組み、管理・監督の仕組みである「コーポレート・ガバナンス」(企業統治)に問題があるからだろうか。不祥事を起こした企業の経営者もそれを反省して謝罪することが多い。日産の西川社長も今回、ガバナンス改革を言っている。しかし、もっともらしく聞こえるが、本当に問題は「ガバナンス」にあるのだろうか。

ありていに言えば、「ガバナンス」の実体は上が下を統治する制度である。いいかえれば上から下を締め付けようという仕組みである。しかしゴーン氏の場合は明らかに「ガバナンス」という制度の上に君臨していたのである。ゴーン氏にガバナンスが作用するはずがない。

一方の、検査データ改ざんの防止は、「統治」の概念による締め付けの対象ではない。「統治」の対象ではなく「品質管理」の対象だ。要するにガバナンスは、ゴーン氏もデータ改ざんも取り扱いの対象外であり、不正の温床を探り不正の根を断とうとする仕組みではないということである。

問題の根は「人間」であり「倫理」の欠如だ。経営陣が勇気をもって正論を主張できるか、組織内で事実を知るものが声を上げられるか、実情を知る現場の人間が上に言えるかどうかだ。ガバナンスなどという借り物の横文字に騙されてはいけない。(H30・11・27 山崎義雄)