ババン時評 少女像は「表現の自由」?

 

先ごろ、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」に抗議が殺到、わずか3日間で展示が中止になった。韓国慰安婦をモチーフにした「平和の少女像」などの出展に、ネットで猛烈な抗議や脅迫が盛り上がったことが中止の原因だ。一方、例によってネットでの匿名による攻撃の危険性を指摘する声や表現の自由、創作の自由が侵害されたという声も上がった。

問題の企画展の芸術監督 津田大介氏は「鑑賞者の見る権利、アーティストの表現する権利、この議論をする機会も奪われた」と言っている。あるいは「原爆の図 丸木美術館」学芸員の岡村幸宣氏は、NHK番組で「表現の自由について議論を巻き起こすのが目的だった今回の企画展を中止に追い込んだ脅迫という行為は決して、許されるものではありません」と語ったという。

こうした主張は原則的な「表現の自由」擁護論だ。しかし無制限の自由はあり得ない。憲法などでも他人の自由や権利を侵害する表現は制限されている。また「国際人権規約」の第二十条2には「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」とある(ウイキペディア)。これを借りれば、「少女像」が「差別・敵意の扇動」、「国民的憎悪の唱道」を意図した、韓国の政治目的を仮託された創作物であることは明らかだ。

少女像の作家のキム夫妻は、「少女像は反日の象徴ではない。作品を見てもらえれば分かってもらえる」と言っているらしい。それならば、この少女像は純粋な創作意図による作品なのか、韓国政府による示唆や後押しはなかったのか、金銭その他なんらの支援も受けずに自主制作したのか、自力で韓国の日本大使館前やアメリカなどに設置したのか、それを作者に問いたい。

報道によると芸術祭のトップでもある愛知県の大村秀章知事は「金は出しても表現内容に口は出さない」と言う。一方で名古屋市河村たかし市長は「10億円ぐらい税金を使っている」と言い「こんなことをやるとは―」と驚いて少女像の展示中止を求めた。日本維新の会松井一郎代表も「税金を投入してやるべき展示会ではない。日本人をさげすみ陥れる展示だ」と言っている。

こんな具合に首長の意識次第で判断が揺れることになる。極端に言うと公的な許認可は首長が保守系か革新系かだけでも変わってくることになる。言えることは、場所の提供や資金などで、公的支援を受ける催しに無制限な表現の自由はないということだ。(2019・10・2 山崎義雄)