ババン時評 “貧乏の悪循環”脱出法

菅首相は、国民に「自助・共助・公助」の“教え”を説いた。この教えは富裕層にではなく貧困層に向けた教えだ。つまり、自らの生活を防衛するためには、第1に自助努力をしろ、第2に共助で助け合え、第3の公助は、最後にダメなら国が面倒を見てやろうという段取りだ。簡単に言えば、まずは自助努力で生活を守れ、貧乏を回避しろという「生活防衛」の教えだ。

貧乏からの脱出は本来、自己責任だというわけだが、貧乏はクセになる。さらにその“貧乏グセ”は子や孫まで伝わることが多い。この、貧乏の継続、貧乏の循環が経済学で言う「貧困の悪循環」だ。問題は、こうした家庭で育つ子弟には、きちんと義務教育を受けて、社会に出て働いて生活するという当たり前の考え方が欠落している場合が多い。

「貧困の悪循環」が発生する初期的な原因は、人生の転機でカネに見放されるからだ。カネに縁がなくなるから食うに困り、人付き合いがなくなり、頼れる人がいなくなる。そして貧困家庭の子は十分な教育も受けられず、人生において良い仕事や収入に恵まれなくなる。資金・人脈・教育の欠落が「自助」と「公助」を不可能にし、「公助」に頼るだけとなる。

この悪条件は高い確率で子や孫に受け継がれる。いったんこの「貧困の悪循環」に陥ると、さらに貧困の度を増すことが多く、自力脱出は不可能だとさえ言われる。貧しい人は生涯貧しく、貧しい家庭は代々貧しいままになる。運よく脱出できたとしても、脱出のチャンスをつかみ、脱出の軌道に乗るまでには相当な努力と時間を要することになる。

「貧困の連鎖」を断ち切る第一歩は、貧困家庭の子供たちが、その境遇から脱出して立派な大人になろうと考えることだろう。そのためにはまず、その子らが閉じこもる暗く狭い貧困世界の外に、明るくて広い別世界があることを、さまざまなかたちで実見させ、確信させ、そこに至る道を考えさせる必要がある。

そして、貧困層に「自助」を求める前に、「自立」の手助け、すなわち「“貧乏の悪循環”から脱出させる方法」を政治が考えるべきだろう。そのための「自立」の理念と方法の研修手段、学習方法を教育の根幹に組み込むべきではないか。さらに言えば「自助」の必要のない富裕層には、「貧困の循環」を断ち切るために「公助」の大スポンサーになってもらう税制を考えたらどうか。(2020・12・23 山崎義雄)