ババン時評 大臣辞任・何が問題か

 

情けないレベルの失言や事実誤認で辞任に追い込まれた桜田五輪相を、“誤輪相”と皮肉る向きもあるようだが、私は、いくら過失を責められても懲りない“桜田懲りん相”と呼びたい。ひょっとすると、辞任後のいまでも、なんでオレがこれしきのことで大臣をやめなきゃいけないんだと思っているのではないだろか。

桜田議員のウエブサイトに、「政治理念」が掲げられている。「戦後50年が経過した現在、わが国には凡庸な価値観のみが蔓延し、個人がその人格性を十分に発揮できない窮屈な社会がはびこっています。また経済大国としての国威は世界に誇示しうるものの素晴らしき文化・伝統・国民性を有する国として未だ諸外国から尊敬されるに至っておりません(云々)」

これは20年以上も前の作文であるが、今もその理念に変わりがないとすれば、いささか理想が高すぎたのではないか。「凡庸な価値観」を嘆くのであれば自らは「非凡な価値観」を持たなければならない。「個人がその人格性を十分に発揮できない窮屈な社会」はさらに重要である。桜田議員が「人格性を十分に発揮」し過ぎて辞任に至ったのは皮肉だが、それ以上に大きな問題がある。

桜田議員は、重要な政策3本柱の第1に「自主憲法の制定」を掲げている。自民党が目指す憲法改正草案では、現行憲法13条で、公共の福祉に反しない限り「個人」が尊重される、としているところを、公益および公の秩序に反しない限り「人」として尊重される、と改正する。多様な価値観を持つ「個人」ではなく、犬、猫、人の、一括りの「人」である。しかも“しばり”は「公共の福祉」ではなく、国家の「公益・秩序」である。要するに桜田議員が危惧する「個人がその人格性を十分に発揮できない窮屈な社会」を自民党改憲案は目指しているのである。桜田さんレベルの議員たちにはとりあえず、樋口洋一×小林節著『「憲法改正」の真実』購読を薦めたい。なお小林慶大教授は人も知る自民寄りの改憲論者であり片寄らない視点を持つ。

派閥の功罪についてはいまだに論議が尽きないが、功罪の「功」の方では、派内の切磋琢磨で学び、議論をし、知見を広めて人材が育っていく。今その派閥の気概が薄れてきているのではないか。大臣辞任では首相が任命責任を問われるが、不適切人材を推した派閥のボスも責任を問われるべきではないか。桜田議員一人の話ではない。大臣辞任の背景には政権の緩み、派閥の弱体化、何よりも議員諸氏の不勉強があるのではないか。(2019・4・11 山崎義雄)