ババン時評 隠れ蓑着る「憲法9条」

安部首相は焦りを感じているだろうが、憲法改正の動きはにぶい。安倍首相の本心・本音は間違いなく9条2項の「戦争放棄」条項の削除である。すなわち石破茂元幹事長の主張と同じだ。しかし「戦争放棄」条項の削除は、公明党と決別しない限り言い出せない。したがって平和維持の2項はそのままに、新たな3項を設けて自衛隊の公認を図る。安倍首相としては、そこまで譲歩しても自衛隊を認知して、“明るい場所”に立たせたいということなのだろう。

その頼りの公明党北側一雄中央幹事会長は、昨年3月はじめの記者会見で、「自民党が提案し〈中略〉憲法審査会で議論しましょう、となれば党としても勉強しなければならない」と述べ、「まだ先は長い。すぐにどうこうという話にはならない」と語って1年になる。実にのんびりしたもので、来年の総裁任期中に改正憲法施行まで持っていきたいと願う安倍首相としては気が気ではないだろう。

さらに、自民党内にも2項の削除論がくすぶっている。世界有数の能力を持つ自衛隊が戦力ではないというのは詭弁だとする声が強まっている。たしかに、自衛隊の持っている世界に誇る「戦う力」、これから導入する「イージスアショア」も「F35Bステルス戦闘機」も「戦力」ではなく自衛のための「実力」だとする政府の見解は奇異に感じられる。

遡れば、戦後、現憲法の草創に携わった首相吉田茂憲法解釈で迷走を繰り返した。おもしろいのは当時、共産党野坂参三議員が「自衛のための正しい戦争」論を展開し、これに吉田が「正当防衛権を認めると戦争を誘発する」と反論したことだ(原彬久著「吉田茂」)。それ以来、攻守ところを変えて70年以上も正当防衛、自衛権を巡る与野党の9条解釈が迷走してきたのである。2項を残すと将来もこの迷走を続けることになる。そろそろすっきりと決着をつけるべきではないか。

平和維持の9条2項をそのままにして自衛隊を認知させようというのは、9条2項を隠れ蓑にして、「戦力保持」容認の本心を隠して自衛隊を認めさせるに等しい。国民にとってすっきり分かる本音の改憲案を示すべきだ。安倍政権内での半端な改憲を急ぐ必要もなく、そこまで急がなくても事実上自衛隊は容認されている。まして存亡に関わる恐れなどない。まっとうな条文案を示してゆっくりと国民の理解と判断を待つべきではないか。(2020・5・9 山崎義雄)