ババン時評 厄介者?「日本的雇用慣行」

 

いきなり「日本的雇用慣行」を取り上げて、問題ありと指摘したのは今年の「経済財政白書だ。どんな優れた制度にも、長所だけではなく短所がある。もちろん、戦後の日本企業に深く根付いてきた「日本的雇用慣行」にも、良い面もあれば悪い面もあった。

だからこそ産業界や企業は、終身雇用制度や年功序列の昇格や賃金制度なども、工夫・改善を重ねながらその制度を維持してきた。したがって、日本的経営や雇用慣行の問題は、今に始まった問題でもなければ論議でもない。なによりも「日本的雇用慣行」は「日本的経営」の根幹であり、その特性・長所を簡単に否定することはできない。

その「日本的雇用慣行」を、年次の経済財政事情を分析すべき白書が、大真面目で論じるのも不可解だが、それにもまして驚かされるのは、そうした旧来の日本的雇用慣行をいまだに守っている企業が多いことを問題視し、否定していることだ。

白書は、今の安倍内閣が発足してからの6年数カ月の間に、景気回復とともに雇用情勢が改善し、人手不足が強まってきたとする。そこで、女性、高齢者、外国人材を含めて、人材の確保が喫緊の課題だと言い、多様な人材を生かす必要性を指摘する。そこでいきなり「日本的雇用慣行」を引き合いに出して、これが、女性や外国人などの活躍を阻害している可能性が高いという。

さらに白書は、日本的雇用慣行は、①企業内のみの訓練や職業経験でキャリアを積んだ従業員は創造的な仕事を苦手とする傾向がある。②年功序列は技術進歩が速くて技能が陳腐化しやすい現在では合理的でない―などと指摘する。

そういうマイナス面がある(かもしれない)という指摘に一理あるとしても、それは単なる日本的雇用慣行への批判でしかない。その指摘がすなわち「女性や高齢者、外国人労働力」の多い企業の方が、「創造性」があり、「技術進歩」が速い、などと言う理由には決してならない。

日本的雇用慣行を悪者にするより、議論するならまともに多様な労働力の活用を論議すべきではないか。近年相次いでいる企業不祥事が、モノづくり精神や企業モラルの劣化に起因するものであり、雇用慣行を含む日本的経営の長所を軽視し劣化させたことと決して無縁ではなかろう。(2019・8・3山崎義雄)