ババン時評 「いじめ事件」と「閉鎖組織」

 

神戸の小学校教員4人による同僚いじめは驚きだ。いじめの内容は尻たたきやら激辛カレーの強要やら暴言やら、低レベル?で学校の先生がやるとは思えないやり口である。しかしそのガキレベルのいじめによって被害者が受ける痛みは、肉体的なものより精神的な痛みの方がはるかに重く深いキズとなってしまう。

加害教員は、リーダー格の40代女性教員と取り巻き的な30代男性教員3人。問題となっている被害者教員は1人だが、ほかにも数人の教員がいじめの被害に遭っているようだ。同校の教員数は30人強だというから、このいじめは恐らく全教員が知っていたはずだ。

それがなぜ表ざたにならずにエスカレートしていったのか。なぜ初期の段階で主任クラスの教員から教頭、そして校長へと報告が上がらなかったのか。なぜ市の教育委員会に報告され厳正な処置が講じられなかったのか。関係者全員が見て見ぬふりをしたということなのか、理解に苦しむ事件だ。

しかし事件の根は深い。大同小異の出来事はほかの学校でも起こり得る。というより起きているだろう。それは、人間が集まれば必然的に起きる人間模様であり“摩擦現象”だとも言える。そして人間の集まりが組織化され固定化されればボスが生まれて次第に閉鎖組織になっていく。

閉鎖組織でのいじめ被害者にとっては、その閉鎖組織が“全世界”になり逃げ場がない―と思い込むようになる。外に向かって助けを求めることさえ考えなくなる。外に飛び出す勇気もわかない。そうなると、自分はダメな人間だという自己否定の心理にまで追いつめられる。最悪の場合は自殺を考えたり実行にいたる。

一般社会でも、昔なら軍隊、今なら企業や官庁、組合、スポーツ団体などでも、権力者が生まれたりボスが君臨して組織の閉鎖性が強くなると、同じようないじめが発生する。一般の大人社会の例なら軽蔑しておしまいでもいいが、教師間のいじめは許しがたい。子供たちが救われない。

問題は「閉鎖組織」であり、いじめ対策はその閉鎖組織に風穴を開けることではないか。せめて江戸時代の「目安箱」にならって、スマホやネットを利用して、子供たちは校長先生やPTA会長などに、教師は市の教育委員会などに匿名直訴するという、「いじめ告発制度」を考えたらどうか。そして市教委にはいじめ事件の公表を義務化すべきだ。(2019・10・21 山崎義雄)