ババン時評 英会話できなくてけっこう

 

今どき外国語の1つぐらいは、とりわけ英会話の基本ぐらいは身につけなければ恥ずかしい、などとコンプレックスを持ってしまう向きも多いはずだ。しかし、肝心の母語・日本語を流ちょうに喋れる日本人がどれだけいるだろうか。

英語教育の是非を巡って論議が展開されている。朝日新聞のインタビュー(L1・12・17)で、中央教育審議会文科相の諮問機関)会長の安西裕一郎氏(慶応大元塾長)は、英語などの記述式テストの導入が見送りになったことで、日本の教育は当分の間足踏みするだろう。世界の劇的な転換の中で、日本は「教育鎖国」の状態のまましばらく推移する、と語っている。

ところが、直近の12月の論壇誌を総覧した読売新聞(L1・2・30)「入試と教育 本質を問う」(12月の論壇)では、教育や入試のあり方を巡る論考が相次いだといい、中には、「英語信仰」への批判も多いとして、以下のような意見を紹介している。

英文学の行方昭夫氏は「英語教育、『それ本当?』」(『世界』)で、英語を覚えなければ生きていけない環境下で学習すれば誰でも習得できると言う。数学者の藤原正彦氏は「『英語教育』が国を滅ぼす」(『文藝春秋』)で、英語の早期教育は日本人としての自覚や教養を積むことを妨げると言う。英語教育論の鵜飼玖美子氏は、対談「ペラペラ英語は『自己植民地化』につながる!」(『中央公論』)で、日本語に誇りがないと嘆き、日本のノーベル賞受賞者が多いのは、母語で学べる幸運があるからだと説く。

思い出すのは、筑波大名誉教授(当時)の白川秀樹さんが、2000年にノーベル賞科学賞を受賞した折の話である。外国記者から「アジアで日本人のノーベル賞受賞者が多いのはなぜか?」と質問された白川さんは「日本では日本語で書かれた教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えたという(読売新聞 1916・2・18 白川氏論考「日本語で学び、考える科学」)。 

「英会話できなくてけっこう」というのは言いすぎだが、必要な人は習得し、必要ない人はやらなくてもいい。上記識者の意見は、誤解を恐れずに言えばいずれも英語教育を急ぐ必要はない、まず日本語を学べというわけだ。なにより、日本語でしっかり考えて表現できない者が、英語でしっかり考えて表現できないであろうことは自明の理だろう。(2020・1・9 山崎義雄)