ババン時評 「口下手」首相?変身中!

いまや菅首相の口下手は衆目の一致するところとなった。読売(R3・2・20)は「政治の現場」レポートで、脱「発信下手」模索続く 首相、などと報じている。それによると、菅首相は2月2日の夜、人払いした首相官邸の記者会見室で、初めて使うプロンプター(原稿映写機)の角度などを念入りに確認したという。

そして、「記者会見の冒頭発言で、菅は13分にわたってプロンプターを使った。時折、視線を左右に振り、下を向く場面はぐっと減った。顔を上げたことで声量が増し、与党からもいい会見だったと好意的に受け止められた―」と記している。

官房長官としての菅さんの持ち味は、苦労人の重みと冷静さにあった。しかし首相となるとそれだけでは立ち行かない。安倍前首相は官房長官も首相もコナしたが、それができる「本質」を持ち合わせていたと言えよう。ありていに言えばネアカの安倍元首相とネクラの菅首相の違いである。

先の読売記事は、米ユタ大学の東昭二教授(社会言語学)の話を紹介している。すなわち菅首相の話し方は「情報の伝達にとどまっている。聞き手の情緒や感情に働きかけるには、繰り返しによる協調や対話性、ストーリーなどを交ぜながら語ることが欠かせない」との指摘である。

私はだいぶ以前に東教授の『言語学者が政治家を丸裸にする』(文藝春秋)の感想をネットに紹介したことがある(2007・10)。同書には、人間の会話における話し方には「リポート・トーク」と「ラポート・トーク」の2つがあるとして、前者は世の中の各種の情報をリポートするような事実に基づく話し方、後者は相手との心の交流を求めるような情緒的な話し方だとある。

まさに菅首相の話し方は「リポート・トーク」であり、官房長官の時はそれでよかったかもしれないが、一国の首相となれば「ラポート・トーク」の重要性に気付かなければなるまい。とりわけ目下のコロナ対策では、国民の気持ちをつかむ必要があり、話し手と聞き手の心理的距離感を縮める「ラポート・トーク」は欠かせない。

菅首相もこれに気付いたからこそ、読売が伝えるように、プロンプターを使った2日の記者会見で「私も日々悩み、考えながら走っている」と語ったと言い、同紙はこれを「珍しく心の内を見せた瞬間だった」と報じている。東教授は「本人の気持ち次第で、確実に変われる。『今までやってきたから、これでいい』では、国民は離れる」とアドバイスする。口下手首相の変身に期待したい。(2021・2・21 山崎義雄)