ババン時評 争いに弱い日本人のDNA

また日本の、どっちつかずの外交姿勢が露出した。ウクライナ戦争のさ中に、先ごろ(4・20)ワシントンで開かれたG20(主要20カ国・地域)財務相中央銀行総裁会議で、ロシア代表が発言する際に、英・米・カナダなどの代表が抗議のために退席したが、日本の鈴木財務相は退席を見送った。事前の政府判断だったと思われるが、いかにも日本らしい?優柔不断ぶりである。

記者会見で語った鈴木大臣の、「ロシアの行為は断じて容認できず、最も強い言葉で非難する。退席せず、ロシアを厳しく批判させていただいた」(読売4・20)との説明も、言い訳がましく聞こえてしまう。岸田首相も、先ごろ、ロシアのウクライナ侵攻を念頭に「わが国は、戦後最大の危機に陥る恐れがある」と発言したが、おっとりした岸田首相の言動からは本気度や切迫感が伝わってこない。

どうも日本人という民族は「争い」を好まない民族なのではないか。「争い」を避けるのは日本人の性(サガ)となっているのではないか。しかし単純にそれを日本人の美徳といえない時代になってきているのではないだろうか。勇敢に抵抗するウクライナの現実を見るにつけ、改めて日本人の持つ争いに弱いDNAの、現代社会への“不適合性”を考えさせられる。

話は現実から離れるが、先にも引用した司馬遼太郎の言う「鬼胎の時代」すなわち日露戦争以後、第二次大戦までの時代は、日本にとっては、誤ってはらんだ鬼っ子的な時代である。確かにその時代を除けば日本の歴史は、1万年超の縄文時代は争いのない平和な時代が続き、争いが始まったのは、発掘された人骨の武器による傷跡などから見て、渡来人がわが国に来はじめた弥生時代以降だとされる。

西洋のように他国を侵略したり、宗教同士で殺し合った歴史がない。あえて探せば、他国を侵略し損ねた秀吉の朝鮮出兵があり、織田信長比叡山焼き討ちがある程度だ。蒙古襲来は、モンゴルによって突然、しかも2度にわたって仕掛けられた戦争である。問題はこの時、わが国は神風(実は嵐)に助けられたことだ。神風に頼るわが国の精神構造は太平洋戦争まで変わることがなかった。

今、プーチンウクライナ略奪が成功したら次は俺の番だと中国・習近平が事態の進展を見守っている。これからの日本は、その中露にどう対応するのか。政府は、2013年に策定されたままの安保戦略を今年の暮れに向けて見直す方針だ。これまでの安保戦略は、対中国では「戦略的互恵関係」を目指し、ロシアとは、エネルギー関連を中心に協力して北方領土の返還を求めるというものだ。

つまり日本の安保戦略は、中露いずれに対しても争いを避ける“半身の構え”で付き合ってきた。ようやくそのあたりを今年中に見直そうというのであるから、のんびりしたものである。古来の日本人DNAでは、冷徹非情の中露に対応するのはムリだ。大幅で抜本的な安保政策と外交姿勢の見直しが迫られよう。(2022・4・22 山崎義雄)