ババン時評 テレビ桟敷は旧作時代劇

古い仲間で一杯やると #テレビ時代劇 の話がよく出る。一人が、観ているのは「必殺仕事人」「剣客商売」「銭形平次」、少し前は「鬼平犯科帳」だと言ったら全員が観ていると言って大笑いになった。一人は、碁会所に行く以外は終日有線で時代劇を見ていると言う。どれも通常テレビの再放送もので見古したドラマである。ことほどさように(とは古い言い回しだが)テレビ時代劇は枯渇している。

それで思い出したのが、俳優の #仲井貴一さん のエッセイである。読売新聞に連載したエッセイ(4回目・最終回、5・28)で、『役を一つ終えると、いつも心の中で「どうだった?」と問う。すると、決まって「まだまだだな」と声がする』と書いている。問いかけるのは、貴一さんが2歳の時に交通事故で亡くなった父、銀幕のスターだった佐田啓二さんだ。貴一さんが物心ついた頃、母に手を引かれて映画館に行き、スクリーンで初めて会った父である。

貴一さんは、10年ほど前、民放から時代劇のレギュラー番組が消えてから、「時代劇のともしびを未来へつなごう」とさまざまな場で発言を続けているという。時代劇は、扮装に時間がかかる、所作やセリフの約束事も多い。自由がない。だからこそ、「残さなくてはならない」と強く思うのだ。

「僕たちの仕事で唯一『型』があるのが時代劇。型は、容易に崩れたり、壊れたりしてしまう。常に原点に立ち戻り、『これだ』というものを伝承していかなければならない」と言い、先人たちから渡されたバトンを、若い世代へとつないでいく。それが、「映画のDNA」を受け継いだ者の使命だと、感じている、と結んでいる。中井さんの願いは、我々年配者の願いでもある。

本格的なテレビ時代劇は2011年に終了した「水戸黄門」が最後で、それ以来はNHKの大河ドラマや単発ものだけになった。その間、中井さんの言う時代劇の「型」は崩れに崩れて「形無し」になっていった。題名は忘れたがその頃のNHK大河ドラマで、夜の屋敷うちで立派な侍たちが対話や談合を繰り返して筋が運ぶシーンが多く、「お座敷時代劇」と皮肉を言った記憶がある。

そして、昔は夜中にうごめくのは悪党に決まっていたはずだが、侍の活躍も夜のシーンの方が迫真的だとでも勘違いしているような時代劇が増えた。青天白日の下の剣劇と勧善懲悪が時代劇の型だったはずだが、いつのまにかそれが消えた。

名監督に仕込まれた映画育ちの大型俳優がテレビ界に降りてきた時代が去り、今では名も知らない若手の学芸会的時代劇になり、目下の三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマさえも、時折得意のちゃかす演出がモテるような軽演劇的時代になった。往年の時代劇を懐かしむ年配者も早晩消えていくことで一件落着となる。それでいいのだろうか。(2022・9・24 山崎義雄)