ババン時評 無頼のブン屋 西山太吉逝く

数奇の運命をたどった元新聞記者・西山太吉さん死去のニュースが大きく報じられた。2月24日、北九州市介護施設で死去、91歳だった。西山さんは元毎日新聞記者で、1971年の沖縄返還時における日米密約をすっぱ抜いた外務省機密漏えい事件で有罪となっていた。この日米密約は、本来米国が負担すべき沖縄の米軍基地の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりするというもの。

西山記者はこの密約を、外務省の女性事務官を篭絡して入手し国家公務員法違反で起訴された。以来、74年を皮切りに両3度訴訟を起こしたが、東京地裁では勝訴したものの高裁、最高裁で逆転敗訴し、国家の壁に跳ね返された。加えて相当強引に外務省の女性事務官と肉体関係を持ち、機密文書を持ち出させたことで世間の袋叩きに遭い、毎日新聞社を退社。新聞社も購読者離れで経営がおかしくなった。当初は「言論の自由」や「知る権利」を訴えていたマスコミ界も腰が引けてよそよそしくなった。

この辺りを沖縄タイムス(2・26)は生々しく伝える。西山さんいわく「孤立無援、四面楚歌、密閉された社会」状態に置かれた。退社後は北九州市で「こんな不条理が許されるのか」と飲み歩きボートレースに通う日が続いた。しかしその間、身内の会社に定年まで勤め、全国講演をこなし、著作も行ない、故山崎豊子さんの小説「運命の人」のモデルにもなった。

最後となった09年の裁判では、沖縄返還交渉責任者だった吉野文六・元外務省アメリカ局長が証人として出廷し、密約の存在を証言した。37年ぶりに対面した西山さんは休廷中に笑顔で握手を交わした。この時の心境を西山さんは、「私は今、何十年の空白期間をカバーしておつりがくるほどの大きな仕事をしている、一度死んだジャーナリストが晩年に蘇生した。これが歴史の裁断だ」と語った。しかし「私は裁かれたが、嘘をついた国は裁かれないままだ」。

西山さんは数奇な運命をたどったとしか言いようがない。沖縄返還協定が締結され、用済みとなった女性事務官に対する西山さんの態度はよそよそしくなった。そもそもこの事件の発端は、西山さんが10数回にわたって女性事務官から得た情報を72年に国会議員の横路孝弘楢崎弥之助に提供し、彼らがこの極秘電文をかざして政府を追求したことに始まる。

西山さんが直接記事にしなかったのは、取材ルートを秘匿するためだったが、女性事務官は耐えられず上司に告白した。西山さんのようないかにも小説の主人公になりそうな、良くも悪くも記者魂をもった無頼のブン屋は、この先、少なくとも大手マスコミから現れることはないだろう。合掌。(2023・3・5 山崎義雄)