ババン時評 珍妙な韓国式身勝手論理

 

先に、「日韓関係の改善は可能か」と題して、関係改善の突破口を探る一文を書いた。その一文について、仲間内の例会では、「認識が甘い」という批判と、「大人の態度だ」とする意見が出た。今回の韓国による世界貿易機関WTO)への“訴願”を見ると、やはり私の一文は「甘かった」かと反省する。

韓国は、7月24日、(WTO)の一般理事会で、日本による半導体材料の輸出規制の撤回を求め、日本の輸出規制は「WTOに対する脅威であり、世界経済に破壊をもたらす」と主張したが、これに対する第三国の発言は一切なかったという。一方、日本は、今回の輸出規制は「輸出管理の運用見直しであり、WTO協定にも適合している」と発言した。

韓国の言い分は一貫して、日本の対韓輸出規制は、①徴用工問題への報復措置だ、②WTO違反だ、というもの。しかし韓国が、日本のやり方を報復措置だとする論拠や証拠を世界に示すことはムリだろう。逆に、徴用工問題は韓国も認識しているということを公表していることになる。

また、日本が疑念を抱いて「輸出管理の運用見直し」に踏み切ったことを真面目に受け止めるべきであり(ムリか?)、これに反論するなら、半導体材料はじめとする日本から輸入品を、韓国が危ない国に再輸出している疑惑に応えて、実態を公表すべきだろう。

一般理事会後の記者会見で韓国は、日本に「対話を提案した」とも述べたというが、日本側は「受けていない」と否定している。日韓協定に基づいて日本が韓国に求めている徴用工問題での協議を無視している韓国が、今回は「対話」を求める身勝手は理解に苦しむ。

今回の対韓輸出規制について、日本政府が7月に実施した「意見公募」に寄せられた意見は3万件を超えたという。通常は数十件程度だというから3万件超は驚きで、さらにその9割超が貿易上の優遇措置を適用する「ホワイト国」から韓国を除外することに賛成している。大げさに言えば「ホワイト国」からの韓国除外は日本国民の総意であり、政府は、早ければ8月中にも韓国除外の実施に踏み切るという。

今回のWTO“哀訴”は国際社会の理解も同情も得られなかった。この失敗は、先に米国に日韓の仲裁役を求めて失敗したことに続く失敗だ。失敗の原因は、相手の意見には耳を貸さず、手前勝手な言い分を言い募る韓国の体質にあるといえる。(2019・7・26 山崎義雄)

ババン時評 世は軽く、せっかちになった

今の世の中、フエィクニュースやら、無責任発言やら、刹那的な言動やらが目立ち、人間はますます軽く、せっかちになってきた。この一文も近視眼的雑感である。まず参院選の、テレビや街頭の選挙演説を聞いていると、後期高齢者のおじさんとしては、なにやら「空しさ」に襲われることが多い。政治経験のない、政治のイロハをしらない若い新人候補が、「暮らしを守る」「命を守る」などと叫ぶのを聞いていると、「空しさ」を通り越して、「言葉の軽さ」にうんざりする。

テレビで夏場所大相撲を見ていたら、中継の途中でアナウンサーが軽い感じで『相撲界には「3年先の稽古」という言葉がある』と言った。実に含蓄のある言葉で、本当の稽古は、目先の勝負に勝つための稽古ではないというような教えだろう。それで頭に浮かんだのは、「石の上にも3年」だ。3年座れば石も温まる、辛抱すれば、頑張れば報われるという教えだ。ついでに言えば「点滴石をも穿つ」という言葉もある。ぽつぽつ落ちる軒の雨だれも、やがては軒下の石に穴を穿つ、辛抱強く努力を続ければやがて成果が上がるという教えだ。しかし、こういう教えは今どき流行らない。古臭い。死語だ、ということになる。現代人はみんなせっかちであくせくと忙しい。

これもテレビを見ていたら、エスカレーターでは歩かない、左右とも立って乗るというマナーの普及に取り組む動きを報じていたので思い出した。たまたま、7月12日の10時半ごろ、地下鉄表参道の上りエスカレーターは混んでいて、右側にもけっこう人が立っていた。その横を、30代とおぼしき女性が、ご高齢のおじさんに、「通してください」とでも言いながらだろうが、横をすり抜けて上って行った。おじさんが「おい、待て」と怒声を上げた。その権幕は穏やかならざるもので少々嫌な感じだったが、女性も女性で振り向くでも謝るでもなくすたすたと先を行った。

例に引くにはレベルが高すぎるが、読売新聞(7・17)の連載で、ノーベル賞大隅良典先生が、「すぐに応用に結びつく研究が論文になりやすいといった傾向が世界的に強まっている」と指摘し、《一流科学誌は人目を引く研究論文を載せ、商業主義的だという批判が科学界にはある。(中略)米国のシェックマン博士は2013年、「ネイチャー」など3大誌には論文を出さない、と絶縁を宣言した》と語っている。基礎科学の世界でもせっかちになってきたらしい。これでいいのだろうか。(いいわけがない!)(2019・7・20 山崎義雄)

ババン時評 めでたくない?ピンピンコロリ

 

人生の締めくくりをどう迎えるかという「終活」本が書店に並ぶ。しかし、ノウハウ通りに準備して人生をおさらばするのは容易ではなかろう。第一、どのように死の瞬間を迎えるか、それが分からない。長いこと病院で、あるいは自宅で寝ついていたというなら、そこで死を迎えるだろうことは想定できるが、外出できる大方の人は、どんな死に方をするか見当もつかない。

年寄りはたいてい、最後はピンピンコロリと死にたいと願うが、「佐藤葬祭」の佐藤信顕社長は、ピンピンコロリが必ずしも幸せとは言えないという。実際にポックリ亡くなるとけっこう大変なことになる。法律的に、医者に掛かっていないで突然死すると「変死」という扱いになる。自宅で望み通りの天寿全うでも「変死」である。そして、死亡診断をするのは「監察医」というお医者さんで、そのお医者さんが来る前に警察の人が来て実況検分をする。

警察の検分は、警察官にもよるだろうが、生前に転んでアザでも作っていたら、どうしてアザができたか、家族仲は揉めていなかったかなどと聞かれて家族が怒り出すこともあるという。警察の検分が終わると、監察医の先生が来て、現場状況を保存するために裸のまま寝かされている遺体を検分し、その場で死亡診断書を書いてくれるか、不審な点があれば解剖に回される。

17世紀ヨーロッパに、「人生の10段階説」があったという。古い本だが「老人の歴史」(木下康仁訳、東洋書林)によると、若い時代は省略して、60歳=身を引く、70歳=魂を守る、80歳=世の愚か者となる、90歳=子供にからかわれる、100歳=神の恵みを受ける、という“段取り”だ。

今では、60代はおろか70になっても、働き口があれば働かなければならない。60歳で身を引いて70歳で心の安寧を得るなどという贅沢はとても望めない。さらに80歳で耄碌し、90歳で子供返りするとは実にひどい話ではないか。しかしこれは、100歳を超えて平穏な「神の恵みを受ける」ために必要な過程なのかもしれない。

そう考えると、長生きをしたいならできもしないピンピンコロリを願うより、できるだけ心の憂いを払い、適当に耄碌し、子供返りをし、体力・活力の低下を受け入れながら適度に「干物化」して天寿を全うした方がいいのではないだろうか。(2019・7・19 山崎義雄)

ババン時評 鼻のきかない奴はだめだ

 今次の参院選では、共産党社民党を除く与野党が程度の差こそあれ、日米安保の重要性を認めた。「力によって支えられない理想は幻影にすぎない」と56年前に指摘して日米安保の重要性を論じたのは、国際政治学者の故高坂正尭(1936~96)だ。そこから佐藤栄作内閣のブレーンとして沖縄返還に関わり、後の歴代内閣の政策に関わることになる。

服部龍二著「高坂正尭」(中公新書)に詳しい。同書のエピソードで、池田勇人は「日本に軍事力があったらなあ、俺の発言権はおそらく今日のそれに10倍したろう」と英首相マクミランとの会見後に語ったという。また、米誌に、軍事的な解決と政治的・経済的解決のどちらが重要かと聞かれ、軍事的な解決だと即答した。

青年将校」と呼ばれていた中曽根康弘が、吉田茂に、衆院予算委員会(1950年2月)で、「国際連合憲章51条にある集団的自衛権を吉田首相は認めるか」と質問した。吉田は、「仮説の問題には応えられない」と逃げた。おもしろいのは中曽根が「この集団的自衛権という問題は、日本の独立後おそらく一番重大な問題になってくるだろう。そういうところからお尋ねする」と言ったことだ。いま正に政局はそうなっている。

吉田首相は、戦後の20年代に、共産党 野坂参三の「自衛のための正しい戦争」論に、「国家正当防衛権」は「戦争を誘発する」から「有害」だと反論したというから今昔の感がある。しかし吉田はやがて「解釈改憲」にシフトし、近い将来つくられる自衛隊は「戦力にいたらざる軍隊だ」(昭和28年)と変遷した(原 彬久著「吉田茂-尊皇の政治家」(岩波新書)。

いま、安倍首相は、改憲に執念を燃やしているが、樋口陽一 小林節『「憲法改正」の真実』(集英社新書)で、小林は、今の自民党憲法調査会世襲議員と不勉強な改憲マニアだけだと言い、樋口は、安倍首相の母方の祖父岸信介A級戦犯で後に総理大臣となった。その屈折が「押し付けられた憲法」廃棄の執念につながったのではないかと言う。

冒頭の高坂には著書「宰相 吉田茂」(中央公論社)があり、吉田は「鼻のきかない奴はだめだ」と公言していたという。鼻がきかないどころか、戦争の臭いにも気づかないようでは憲法9条の是非を判別するのはムリだ。たしかな世論が形成されるまで、少なくとも来年の憲法改正はムリだろう。(2019・7・13 同テーマの拡大版が山崎義雄のHP「中高年ばばんG」にあり)

ババン時評 日韓関係の改善は可能か

 いま韓国は、日本による半導体関連材料の対韓輸出規制に驚き、あわてて米国に仲裁を頼み込んでいる。これまで慰安婦問題、元徴用工問題、自衛隊機へのレーダー照射事件などで、一方的な言い分を言い募るばかりで一向に日本の発言に耳を貸さなかった韓国が―である。

思うに、国家の約束を平気で反故にし、驚くべき理屈を言い募る韓国は、トランプの米国など、他の「自国第一」主義とは違う民族的な特性を持つ国なのかもしれない。その韓国民族の特性を顕著に具現してみせるのが現・文大統領ではないだろうか。

以前、「蔓延する“不寛容”」というエッセイを書いたことがある。10人のうち左右両極に立つ2人の意見が対立する場合は、中の8人が協議して結論を出すのが民主主義だ。その両極に立つ2人が3人4人と増えて行く状態が不寛容の蔓延する姿だ。不寛容は両極端の人間が持つ特徴的な属性だが、韓国の場合は、不寛容が民族的な属性かとさえ思えてくる。

国語辞典によれば、まず「寛容」とは、「心が広く、人を受け入れ、過ちを許すこと」である。したがって、人間関係でも国家間でも寛容に過ぎれば相手に何の“作用”も及ぼすことがないことになり、逆に不寛容は強い“作用”を及ぼすことになる。となると、円満な国際関係を保つためには、常に寛容と不寛容の間で解を求める精神・矜持が求められよう。

たまたま先月(6月)実施された読売新聞と韓国日報の共同意識調査では、韓国側で自らの政治思想を「進歩(左派)」と答えたのは25%、多少親日的な「保守」は24%、「中道」は42%だった。また、明るい材料は、29歳以下の若年層で、相手国に「親しみを感じる」が、日韓ともに4割台に達したことくらいだろう。

となれば、もし日韓関係の改善を望むのであれば、この「中道」42%の韓国国民と「若者」に関係改善の期待をつなぐしかないのではないか。やるならばそこにターゲットを絞り、SNSなどネットの活用を中心に日本の現実と主張を組織的に粘り強く発信する工夫をすべきではないか。

また、韓国の若者には、歴史教育ですり込まれた侵略国家日本のイメージと、現実に見たり聞いたりして知る日本への親しみの意識が「二重構造」になっていることが考えられる。だとすれば、その意識の混乱を解消する辛抱強い工夫も必要ではないか。(2019・7・12 山崎義雄)

ババン時評 参院選はどうでもいい

 

参院選はどうでもいい。なるようになる。政局の大勢に影響はない。問題は参院選の後だ。政権批判と高言・放言の選挙演説は、選挙が済めば言った本人も忘れてしまう。当選後の所属政党内で、選挙演説で振りかざした自論を主張する議員はいない。党の方針に諾々と従うだけだ。

佐藤政権のブレーンとなって以来、歴代自民党政権に影響を与えてきた国際政治学者の故高坂正尭氏は、京都の選挙区で自民党候補ならぬ他党候補に票を入れたと漏らしたことがあったらしい(服部龍二著「高坂正尭」)。自民党候補が見識を持った候補ではないと見たからだろう。議員はすべからく個人の知見が大事だが、とりわけ「良識の府」であるべき参院では個人の知見・力量が問われる。党派にこだわらず知恵と良識でまっとうな論議をする力量が問われる。

ところがいまの参院は、良識の府どころか衆院の“下請け”になり下がった。参院不要論が言われるようになって久しい。それでも参院選がある以上、国民は投票せざるを得ない。こうした現実に従えば、言を変えるようだが、高坂先生のように立候補者の主張や力量を重視する必要はない。各党の党首が何を言うか、党の主張は何かを比較秤量して票を入れるしかない。

そこで問題なのは、今回の参院選で多くの野党が合従連衡で統一候補を立てたことである。それで当選者の数は増やせるかもしれないが、選挙後はどうなるか。ふたたびバラバラになることは目に見えている。かりに旧民主党ていどに集結できたとしても、党内で右寄りから左寄りまで、勝手な柱を立てて民主屋敷の屋根を支えようとしたが瓦解して今日にいたった経緯がある。

参院選はどうでもいいというのは言い過ぎだが、問題は参院選の後だ。つまり解散もないこれからの参院任期6年の間にどんな働きをするかが問題だ。選挙の争点となっている年金・憲法でも、野党は一方的に政府を攻撃するだけ、財源の裏付けのない空手形を発行するだけだ。具体的な政策立案は自民党政権においてもこれからだが、野党は自民党に伍して中長期的な社会保障政策を立案できるのか。改憲では、まともに自民党改憲案と渡り合えるのか。

さらに根本的な疑問は、野党に、自民党と真剣に“渡り合う”気概があるかどうかだ。立憲民主党は、4年前の安保法制は憲法違反だからそれを撤回しなければ改憲論議には応じないという。安保法は、独裁政権が独断で決めたわけではない。安保法にこだわって改憲論議を拒否するのは議員としての務めを放棄する“義務違反”“職場放棄”ではないか。(2019・7・6 山崎義雄)

ババン時評 飽食の国、暢気な国

 

大先輩のHさんによると、戦後の食糧難の時代は、子供たちが草、花、木、動物などに興味を持ったのは「食」のためで、食えるか食えないかが問題だったという。親も野草を摘んで日常の食卓に供していたし、子どもも、ぐみ、桑の実、また垣根のマキの実などおやつ代わりにしていた。小動物、とくにカエルは貴重なタンパク源だった。梅雨になれば青梅を食べてもお腹を壊すことがなくなることを知っていた、という。

たしかに我々後期高齢者は、子どものころ、いろいろな木の実草の実を食べていた。冷蔵庫もない時代の子供だったから、少々すえた(饐えた)ご飯や異臭を生じ始めた生ものでも、食えるか食えないかぎりぎりのところを臭いや味覚で(時には度胸で)判断したものだった。今の子供にはそのような芸当?はできない。

もう一人、同年配の友人W君は、最近施行された「食品ロス削減推進法」に不満を漏らしている。捨てないことが正しいと決めつけるのでは、かつて客が残した食材を次の客に使い回ししていた関西の著名な高級料亭や、消費期限切れで回収されてきた食材を再利用して市場に流していた東北の食品加工企業などは賞賛されるということになるーというのである。

大分私的なうっ憤晴らしにも聞こえて笑えるが、『頑張りながらも平々凡々たる生活に終始し、ようやく傘寿に到達した身としては、あくまでも「消費期限」にこだわって、捨てるものは捨てて、少量でも美味しい食事をとっていきたい―」という願いは分からないでもない。

ついでに言えば、加工食品に貼られている「賞味期限」と「消費期限」はよく反対の意味に誤解される。消費者庁の説明を砕いて言えば、「賞味期限」は、「悪くなるから早く賞味しろ、できれば5日以内に食べてしまえ」という意味で、「消費期限」は、「1年や2年なら味は変わらないよ」といった具合に、ゆっくり消費してもおいしく食える期間を表示するものだ。

ともあれ、同じ高齢者でもHさんとW君では「食物観」にこれだけの差がある。この2つの話には、食べ物を巡る今昔感がある。言えることは今の日本は贅沢な食の溢れる平和な国、飽食の国、戦争も忘れた暢気な国だということだろう。(2019・7・5 山崎義雄)